【過去世の探索】は「ブッダの悟りに必要な智」であるというお話です。 恐縮ですが、ヘミシンクでも・・・ 《原始仏教・原始仏典について》
ブッダの悟った事柄の中に、自身の過去の生存(過去世)を想起する智(=宿住智)と、生きとし生ける者たちの死と再生を知るという智(=死生智)があります。
例えば原始仏教にある沙門果経では、修行の成果として、
かれは多くの過去の生存、たとえば一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、(中略)すべて想い起こすのです。
とありますし、
かれは清浄で超人間的な天の眼によって、生けるものたちが劣ったもの、優れたものとして、美しいもの、醜いものとして、幸福なもの、不幸なものとして、死に変わり生まれ変わるのを見、生けるものたちがその行為に応じて転生するのを洞察します。
とあります。
ブッダはこれらを如実に観察し悟り、そしてこれら輪廻(苦しみ)が起きる原因と滅尽に至る道、煩悩から解放されるための道を悟るのです(漏尽智)。
さて、前者2つの智である宿住智、死生智について読んでみて、ヘミシンクに詳しい方ならば、おやっと感じられませんか?
これってフォーカス15で行う過去世探索に近いものかも・・・
(補足するならば、フォーカス27の救出活動にも若干通じる部分があります。)
全くもって僭越ですし、恐縮ですが。。。書かせて頂きます。
ヘミシンクにおいても「過去世を知る意味」として、自身を癒すことに加えて、自身が過去何度か生まれ変わっている存在=物質的存在として今生限りを生きているのではなく、まだ科学的には解明されぬ意識の奥深い次元では何かが継続していることに気づく、という点があります。
まあ、ヘミシンクの場合、自身を癒すという側面がやや強いかもしれませんが・・・過去世同士がどのようにつながったか=仏教的に言うならば、何を縁として次の生につながったのかという切り口で過去世探索をしてみると、さらに面白味が増すんじゃないかな、と思います。
また、物質的世界のみを信奉する人には、「仏教でも過去世探索をしていますよ。過去世探索が悟りの智慧の契機となったんだよ」などと言えると楽しいですね。まあ、そんなことを言うと、もしかすると、仏教の方を怪しいと思われるかもしれませんけどね・・・
それはともかく、瞑想的修練により(ある種の変性意識状態となり、)事実上、過去世を探索したことが原始仏典に書かれていることは、興味深いことだと思います。
なお、それをもってヘミシンクが凄いなどと言うつもりは全くありません。過去世探索が別に特殊なものではなく、ブッダの智慧の元となったように、十分に有用なものだということが言いたかったのです。
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