たとえ至高体験をしても、それは【覗き見体験】 -それを統合的に体得しなくてはならない。
タイトルの文章は、アメリカの哲学者ケン・ウィルバーのことばです。
ヘミシンクや瞑想を続けていると、自身の肉体意識が脱落し、自身が光と一体となるなど、いわゆる至高体験をすることがしばしばあります。
このような至高体験をすることは、さほど珍しいことではありません。
大切なのはこの後、この体験を自分自身のものとして体得(自身の中に構造化すること)することです。
それには、ヘミシンク、瞑想などのワークを続けて体験を深めると同時に、それら体験に振り回されないよう、古今の聖賢の書物にあたったり、一般社会での実体験を幅広くすることなどで、至高体験の意味を咀嚼し、様々な角度から統合的に捉えることが大切ではないかと思います。
一時的な至高体験をしても、それに見合った器が未整備だと、自我の肥大、日常生活の軽視など種々の落とし穴にはまってしまう危険性があり得ます。
私たちは、選ばれた偉大な人ではなく、ふつうの人です。
スッタモンダしながら現実生活をしている存在です。
冒頭に書かせて頂いたような、覗き見的な至高体験の後に起こり得る、落とし穴、注意点については、ウィルバーに限らず、多くの先達が言及しています。
今回はウィルバーのことばを取り上げさせて頂きましたが・・・
日々よく噛みしめたいですね。
ヘミシンクにおいても、セミナーで深い体験ができることは多々ありますが、セミナーをきっかけに、それを習慣づけていくことが大切だと思います。
と同時に、理論的な裏付けや実生活をしっかりと送ることも大切です。
また、スピードの速い現代社会では、即時に、ある程度の成果を上げることが重視されますが、
物事を本当に体現するには、やはり日常的な実修、心構えは大切だし、それなりの時間がかかるのではないでしょうか。
以上です。