昔話や夢の世界 -無意識の世界、イメージの世界は興味深い!-
昨日はSEKAI NO OWARIについて書かせて頂きました。
そして「心理学的にも興味深い」ということも書かせて頂きました。
本日は、その、心理学的なお話をさせて頂きます。
それは、ユング等の研究領域である「昔話の世界」「夢の世界」の話です。
最初の興味深いトピックは「昔話、童話に見る共通性」のお話です。
実は昔話には、人類が持っている共通の無意識(集合的無意識)が顕著に現れています。
まずは、西洋のグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」で見てみましょう。
主人公のヘンゼルとグレーテルは、幼い兄妹です。
母親に捨てられた彼らは森の中で道に迷います。
そして森の奥に住む魔女に捕えられるのですが
隙を見て魔女を焼き殺し、宝石を持って帰る、というお話ですね。
そして、日本の昔話「三枚のお札」を見てみましょう。
村に住む小僧が、栗を拾いに山に入ったのですが、小僧が栗拾いに夢中になっている内に山の中で迷ってしまいます。
そうしていると、山の中で小僧は老婆に遭遇します。
老婆は小僧を家に泊めるのですが、
実は老婆は山姥で、小僧を食べようとします。
それを知った小僧は、和尚からもらった3枚の札をうまく使いながら寺に逃げ込みます。
そしてお寺では和尚が知恵を働かせ、老婆(山姥)を殺してしまう、という内容です。(地域によって細かくストーリーは違うようです)
さて、深層心理学的にみてこの2つのお話には共通点があります。
2つの話とも主人公は、幼い子供、小僧です。
主人公は森や山の中に入り込み、迷ってしまいます。
実はこの森、山というのは、木、葉などが豊富にあり奥深い「無意識の象徴」なのです。
つまり、幼い主人公が無意識の中を探索する、というストーリーなのですね。
そうするうちに主人公は、魔女、山姥などの存在に遭遇します。
そして主人公は、それらの存在と戦い、最後は魔女、山姥を殺してしまう、という結末となります。
実は、ここで現れる魔女、山姥は「負の側面の母性の象徴」です。
母性には、育み守るという良い側面があると同時に、束縛し抱え込むという負の側面も持っていると言われます。
幼い主人公は、負の側面である「束縛し抱え込む母性」と戦って倒すのです。
ユングは、無意識を意識化することこそが「個性化=成長=統合」につながる、と言っていますが、負の側面の母性を倒すというストーリーこそが、幼い子供の自律・成長のストーリーと言えるのです。
日本にも、ヨーロッパにも、このような共通性のあるお話がある、ということは興味深いことだと思います。
以上は、昔話に見る世界的な共通性のお話です。
続いて「無意識を象徴する」夢のお話です。
SEKAI NO OWARIの深瀬さんは、よく夢の中で「森の中を歩む夢を見る」「大きな木を見つける」と仰っています。
前述のとおり森の中は無意識の中で、大きな木は生命力の象徴と言われます。
無意識の中を探究し、そして何かをクリエイトする、ということでしょうか。
また、実際に発言されているかどうかは不明ですが、「ドラゴンの夢」も見ていらっしゃるのかもしれません。
歌詞や歌のタイトルに、よく「ドラゴン」が出てきますので。
実は「ドラゴン」は「束縛し抱え込む母性」の象徴であると言われており、ドラゴンを打ち負かすことは自律・成長の象徴だと言われるのです。
こちらも、昔話での分析と同様に、自身の成長・個性化に関わるもの、と解釈できるのです。
いかがでしょうか。
興味深いと思いませんか。
なおこの記事は、以前紹介させて頂いた「ユングForBeginners」や放送大学「心理臨床とイメージ」という本を参考にさせて頂きました。
ありがとうございました。
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