価値観を広げ、心に火を灯す -カタリバという場(コミュニティ)-
昨日は、高校生や就職したての人と話した際の印象について書きました。
そして今日は、関連する取り組みについての本を紹介します。
それは「「カタリバ」という授業」という本です。
さて、カタリバとは何でしょうか。
それは、高校生が大学生たちと熱く語り合うことで
新しい価値観に触れ、その気持ちに火をともす、
そのような仕掛け(=場)のことです。
現在の高校生は、
2人に1人が「自分は人並みの能力はない」と言い、
3人に1人が「孤独を感じる」と言い、
5人に3人が「自分はダメな人間だ」と思っていて、
5人に4人がなんだか疲れている。
そして、5人に3人が「自分が参加しても社会は変わらない」と言う。(P.86)
という状況なのだそうです。
そして、その理由の一つとして
高校生の「価値のモノサシがあまりに限定されているのではないか」(P.87)
すなわち、「学力とスポーツに特化されすぎているのではないか」(P.88)
という点があるのではないか、と発起人の今村氏は言います。
(まあ自分たちの頃も、似たような感じでしたが・・もっと極端なのでしょうね。
また、社会自体が分断化される、など多々の要因もあるでしょう)
ではどうすればよいのか。
単純に言うと、新しい世界、広い価値観に触れること、熱意を感じること
なのですが、ここでは、今村氏の原点に触れることで、そのきっかけや狙い
にも触れてみることにします。
今村氏は、大学進学後に里帰りした際、友人達から「大学がつまらない」
という話を聞かされることになります。
今村氏自身は楽しく充実した生活を行なっているにも関わらず、です。
ここで今村氏は、ハタと気づきます。
大学生活の充実度の差は、本質的には「機会」の差ではないか。
もっと言うと、早い段階で自分の人生や学び続ける意味を考え続ける意味
を考える機会さえあれば、どこにいようと充実した生活が送られるのでは
ないか、そして未来につながる行動ができるのではないか。
それも、強いリーダーシップを持つ高校生ではなく、ごく普通の高校生に
学ぶ意味や生きる目的を考えさせ、心のどこかに火を灯すことこそ重要
ではないか、と。
そのためには、親や友達ではなく、ナナメの関係、すなわち直近で同じ思い
をしてきた大学生と高校生という関係から、新しく広い価値観について触れ
ていくことが良いのではないか、と。
付け加えると、
語る側の大学生も「高校という閉じた世界の歪みを知っている」
すなわち大学生自身が「高校でもっとあんな風に考えておけば
よかった、もっとこんな人たちと接していればよかった」(P.92)
という後悔の念があるため、より一層熱がこもり 「高校生の心に
火を灯す」という一番大切な役割を担うには適任なのです。
今村氏は、当初いろいろな人に「甘い!」「できるわけがない」と
ボロボロに言われたようですが、仲間と出会いながら粘り強く形に
していきます。
素晴らしい行動力ですね。
ちなみに、カタリバのコンセプトは次のとおりです。
・高校生と社会の接点を
・気づきの機会を
・きっかけ生まれるナナメの関係
・1人の100歩より、100人の1歩
ちなみに、カタリバのホームページはこちらです。
最後に。
カタリバは、大学生と高校生の接点の場です。
社会人の我々にもできることがあるのではないかと思います。