「伝統・内部・他人指向」の社会的性格の区別は【1次・2次・3次産業】での切り口で眺めると分かりやすい。-リースマン著【孤独な群衆】より-
デイヴィッド・リースマンの「孤独な群衆」という、著名な社会学の書があります。
本書は、基本的にはアメリカの高度成長前(潜在期)、高度成長期(人口成長期)、初期的人口減退期と、社会的性格(集団の中で共通的に見られる性格)との関係を考察した書籍です。
私が手に取った版は、上巻350ページ、下巻300ページほどの大著で、取り扱われる話題は多くあるのですが、本書内での一貫した主張は、案外にシンプルではないかと思います。
それは、上述の通り、3つの時代を通じての社会的性格を次のように捉えている点です。
まず、高度成長期より前の「高度成長潜在的」な社会では、
「伝統指向」、すなわち「地域での伝統にしたがう」ことが大切とされる社会的性格を持っています。
年功序列が重視され、人々が「恥」をかくのを恐れて行動を律する社会です。
本書は、アメリカ社会の考察書ですが、日本の伝統社会にもよ~く当てはまっているな、と思われませんか。
本書では、人口統計を切り口とした考察とはなっていますが、これはむしろ「第一次産業」、すなわち農業・漁業・林業などを主産業とした村落共同体の性格、それも恐らく世界的に類似した社会的性格と言った方が良いのではないか、と思います。
そして、上記潜在期の後、「過渡的人口成長的」な社会では、
「内部指向」、すなわち幼児期に(富、権力、名声などの)「目標を内面化」し、その目標に向かって進むことが推奨されるような社会的性格です。
この社会では、設定したコースを踏み外すことは「罪」とされ、仕事こそが生活であり、楽しみや消費は副次的なものと考えられます。いわゆる仕事と楽しみは分けられており、あくまで仕事がメインです。
こちらも日本の高度成長期に、よ~く当てはまっていますね。
「第二次産業」すなわち工業・会社での生産が主となる社会、および社会的性格の世界です。
最後に、高度成長が終わり、「初期人口減退期」の社会では、
「他人指向」、すなわち外部の「他者たちの期待と好みに敏感な、人々との関係を気にする」ような社会的性格です。
物質的に豊かになり、進取の気性がさして必要なくなり、内面的目標を無くし、また移り変わりが激しく今後が不確かな時代では、人は、仲間から尊敬されたり愛されたりすることを求めるようになります。
こちらも心当たりがありますね。
こちらは「第三次産業」すなわち(人間とのかかわりが大切となる)サービス産業がメインとなる社会です。
本書は、このような3つのカテゴリーを軸に話が展開するのですが、ここで大切なこととして、どんな社会にも必ず「逸脱する人がいる」こと、要するに同調できなかったり(アノミー型)、違うものを選択する(自律型)人々がいるという点です。
と、本書では書かれていますが、、、
私はこの説を読んでみて、むしろ現代においても、これら3つのカテゴリーが「地域毎に色合いを変えて存在している」し、個人の中にさえこれら「3つが同居」しているように思いました。
地域という点で考えてみると、私が住むような田舎(田畑を持ち兼業で農家をする人や、普通の会社員などが混在)では、いわゆる「伝統指向」はしっかりと継承されていますし、かと言って新しく移り住んだ人々を中心に「他人指向」が強くなってきています。
ひとつの場所でさえ、これらが混在しています。
私は、タイトルに書かせて頂いたように、本書の切り口である伝統・内部・他人指向的性格は、第一次・二次・三次産業的社会的性格と考えてみると、イメージしやすいと思います。
※リースマン自身も、後年、人口統計という切り口は適切ではなかったかも、とのコメントを残しているようです。
現代の日本にも、第一次・二次・三次産業社会は残っており、そういった人々が混在していますので、複雑で多様な側面を持っていると言えるのかな、と思います。
以上が、本書「孤独な群衆」でのメイントピックスかな、と思います。
もちろん、大著なので、多様な話題の中から、また別の視点で読み取れるものもあるのが、「孤独な群衆」ではないかと感じました。
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