良き共同体を自前で再興する:内田樹氏の【街場の共同体論】

 

武道家にして大学教授であり、数々の著作がある内田樹氏(「うちだ たつる」と読みます)の本は、視野が広く共感できる点も多々あるため、よく読ませて頂いています。

今回は、その中の「街場の共同体論」についてご紹介します。

 

本書のテーマは、少々乱暴に言うと「コミュニティと社会」に関する話です。

現代社会の危機的な状況に対し、我々日本人が持っていたコミュニティ(共同体)の良さを改めて見直し、そのような共同体を再び作り上げていこうということですね。

随所に素晴らしい文章がありましたので、今回はそれらをピックアップしてご紹介してみることにします。一部意訳しています。

 

家庭も学校も機能不全に陥っている。

それは子供たちの環境が騒がしすぎて、変化が速すぎて、絶えず外からの査定や格付けのストレスにさらされているせいではないか。

静かで安定的で内省的な中で、身体も心も成長する。

全く同意します。

 

ある消費者哲学において、「あなたが何者であるかは、あなたがどのような商品を購入したのかによって決せられる」。

それまでの社会では、「何を作り出すか」でアイデンティティが形成されていた。

ミニマリスト、断捨離など、今までとは逆の価値観も現れ始めていますが・・・まだまだ消費文化、それも消費体験文化が社会の潮流のように思います。端的な表現ですね。

 

格差社会とは、成員たちが単一の度量衡(=年収)で格付けされる社会のことである。

原則として身分が移動することのない階級社会とは違う。

慧眼ですね。こちらも、短い言葉で端的に示されています。

 

社会的共通資本とは。

①自然:大気、海、川、土など

②社会的インフラ:道路、電気、ガス、通信

③制度資本:行政、司法、医療、教育

これら社会的共通資本には、政治的イデオロギー、市場経済、私欲が介在してはならない。

同意です。マイケル・サンデル教授が指摘されていたように、市場勝利主義が今、このような領域に入り込んでいますね。

 

「フェアな競争」と呼ばれているものに注意しなくてはならない。

現状は、「勝つ者が総取りし、敗者には何もやらない」という競争となっている。

そのような環境下では、各々が自己利益以外には無関心な状況となる。

また、このような競争下では、競争相手だけでなく、競争に参加していない人や未来からもパイを奪ってしまうという重大な問題がある。(補足:大気汚染などです)

言いにくいことをしっかりと言われていますね。

 

家庭内では、メンバーたちの立場は非対称となる。

一家族内に、働き手、幼児(かつての自分)、老人(いずれの自分)、病人(可能性のある自分)などがいる。弱者にも居場所を保障するもの(=強者の責務)である。

商取引的な考え方ではなく、世代を受け継ぐという贈与の思想が大切である。

さらには。

この社会のなかに局所的に「非市場主義的な場」を作り上げることが大切ではないか。

先行世代から受け継いだものを後続世代に受け継いでいく。

そういう垂直系列の統合軸を持った相互扶助、相互支援的な共同体の再建=子供を育て、若者を支援する、教化的な教育共同体を作っていく。

共同体、絆といったものには、このような長所と同時に、束縛・同調圧力などの負の側面があることも事実です。

上手に共同体を築き上げていくことが課題になると思います。

 

いかがでしょうか。

今回は結構バラバラに順不同にピックアップしてみたので、本ブログの論旨が少々分かりにくいかもしれませんね。

が、内田氏の社会に対する洞察、これに対するコミュニティ(共同体)という側面での対応策などについて、

ご興味があれば、ぜひ手に取って読まれると良いと思います!

 

 

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