顕教と密教を統合的に学ぶことの大切さを語る! -「チベット密教」(ツルティム・ケサン氏、正木晃氏)-
本日は、ツルティム・ケサン氏、正木晃氏による「チベット密教」についてご紹介します。
この本の大きなテーマは、(密教というタイトルとは言え、)「顕教と密教を統合的に学ぶことが大切である」ということではないかと思います。
正確には、密教を学ぶ前提として、必須項目として顕教を「しっかりと学ぶ」ことが大切だということです。さらに言えば、「しっかりと学ぶ」とは、心身に染み込むほど長い期間かけて体得する、ということです。
それゆえ、この本は、①チベット密教の歴史、②修行法、という構成となっています。前半の歴史篇では、著者曰く、一部チベット密教の闇、と言われるネガティブな方向の呪法や、性的に行き過ぎた歴史を踏まえて、顕教を重要視するようになった経緯が述べられています。
このことで、ややもすれば我々が陥りがちである「極端な体験至上主義」を諫め、バランスの取れた修養が必要であることを語ってくれています。
さて、この「顕教の学び」ですが、一体どれ程学ぶのだと思われますか?
何と、20年を超えるのです!
その内容は、僧侶ということで、仏教心理学、中観思想、倶舎論、律などですが、それにしても20年を超えるとは!
チベットでは、大体7,8歳で出家するそうなので、密教を本格的に学び始めるのは30歳以上になってからなのです。そして、わずかに10人に1人くらいが、そこまで進むのだそうです。
ここでちょっと、「現代の職人の世界」のお話に移りますが・・・
最近ではよく、職人の世界などで徒弟制度の是非を語られることがあると聞きます。
さすがに、スピード化、効率化した現代では、20年以上、前提となる基礎を学び続けるのは長すぎるような気もします。
が、技術・技能を学ぶ前に、何よりも大切な「心」を身に染みるまで学ぶ「期間」は大切だと思います。
現代でも、(数字の根拠は薄いですが、)3年くらいはしっかりと、その基本、心構え、雰囲気などを体得する期間を設けることは大切なのではないでしょうか。
心の無い技術・技能ほど恐ろしいものはありませんから。
さて、本書の話に戻りましょう
前述のとおり、本書では前半において、顕教的な部分やドロドロした部分を含む歴史などをしっかりと学ぶことの大切さを説かれた後、後半で修行法について語られます。
多くの派に分かれたチベット仏教には、様々な修行法があります。
大まかに言えば、修行法の共通点は観想法にあると言えるのかな、と思いますが、加えてチベット仏教で大きな課題となった「性的ヨーガと仏教戒律の矛盾」の解決の経緯・方法等にも触れられています。
ちなみに、具体的な修行方法などについては、本書の記述だけでは不足気味です。それを補うには、巻末の参考書籍などを参照すればよいと思います。
歴史面、修行面にバランスよく触れられた本書は、チベット仏教を俯瞰するには良書ではないかと思います。