【日本仏教史】を俯瞰する -鎌倉時代以降- (備忘録)

 

日本仏教に関する記事の続きです。

 

前回は、仏教伝来から平安時代まで書かせて頂きました。

今回は、鎌倉時代以降のお話です。

 

今回も日本仏教史―思想史としてのアプローチを参照しながらご紹介させて頂きます。

 

 

さて、まずは鎌倉仏教の時代です。

日本では、この鎌倉仏教に関する書籍が一番多いようですね。

信者数も一番多いのではないでしょうか。

 

この時期の特徴は、それまで貴族や僧侶のみ可能であった複雑な理論や修行が廃され、念仏や唱題の唱和で十分とされたことで、仏教が民衆のものになった、という点にあります。

 

鎌倉仏教については、一宗派ごとに書いても十二分な分量がありますが、敢えてシンプルに書いてみます。

著者の末木氏は鎌倉仏教を3期に分けていらっしゃいますが、私は、宗派で分けてみます。

 

一つは、浄土、念仏系です。

・浄土宗(法然さん)

 専修念仏:念仏を唱えることにより浄土へ往生できる。

・浄土真宗(親鸞さん)

 極楽浄土:阿弥陀仏の本願を信受することで浄土へ往生できる。

・時宗(一遍さん)

 念仏を唱える。踊り念仏と賦算。

 

二つ目は、禅系です。

・臨済宗(栄西さん)

 公案を用いた禅をおこなう。

・曹洞宗(道元さん)

 只管打坐:ひたすら座禅をおこなう。

 

最後は、法華系です。

・日蓮宗(日蓮さん)

 唱題:題目を唱えることを重視する。

 

全くもって書き切れませんね。

いずれ、別の機会で個別に書いてみたいと思います。

 

さらに続きます。

室町時代です。

室町時代は、臨済宗が幕府と結びつき、中心勢力となったようです。

 

臨済宗の寺院、例えば京都の五山は今も観光名所になっています。

五山の上(別格)として南禅寺、

五山として、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺があります。

南禅寺、建仁寺、東福寺辺りには行ったことがありますが、三門など、あの規模を見ると、如何に繁栄していたかが想像できます。

写真は、東福寺の三門です。

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そして、近世、戦国時代から江戸時代です。

当時の不安定な世相を受け、一向一揆、法華一揆などが起きており、宗教勢力への対処が、政治側の大きな課題となっていました。

特に織田信長は、徹底して宗教勢力への弾圧を加えました。

引き続き、豊臣秀吉も弾圧を続けたことなどにより、徳川江戸幕府の時代には、仏教界は力を失っていたようです。

徳川幕府は、仏教を幕藩体制の中に組み込む巧みな政策を施行します。

すなわち。

・本末制度

 本寺と末寺を制度的に確定しました。

 この制度は本寺にもメリットがあるため、寺側も積極的に協力しました。

・寺檀制度

 寺院と檀家の関係を固定化しました。

 宗旨人別帳という戸籍を作成し、民衆支配を行いました。

 

これらは一方的なものではなく、お寺側にも一定のメリットがあるという事で、巧みな政策という他ありません。

併せて、この過程で、仏教による葬式、法要が普遍化していきました。

 

この他、江戸時代では、儒学、心学など倫理面に価値を置くような立場も強くなったり、洋学が入ってくるなど、多様な価値観が花開いた時期だったようです。

仏教に限りませんが、いわゆる新宗教もこの時期から生まれました。

 

新宗教、新新宗教(戦後に台頭してきた宗教)などについては、末木さんのこの本では詳しくありません。

私自身は、島田裕巳氏の「世界10大宗教」などの本を読んだことがあるため、機会があればご紹介します。

 

今回は、自身の備忘録も兼ねて、教科書的にざっと日本仏教史を俯瞰してみました。

次回は、日本仏教史の中で、興味深いトピックスを取り上げてみます。

 

 

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