道元師の教えに立ち返り、そして禅は苦行ではないことを強調する -禅の教室(藤田一照氏)-

 

今回は、藤田一照氏の「禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄」について書かせて頂きます。

 

藤田一照氏のことは、山下良道氏との共著「仏教3.0」を読ませて頂いた際に知りました。

山下良道氏が禅、テーラワーダ仏教と移行されてきたのに対し、藤田一照氏は禅一本という感じなのでしょうか。現在は曹洞宗国際センターなどでご活躍のようです。

そしてこの本は、詩人の伊藤比呂美氏が仏教について無知であるという体で、曹洞宗の僧侶である藤田一照氏に様々な質問を投げかけるという形の対談本です。

 

さて、本書の内容についてご紹介します

 

まずは序章の「そもそも禅ってなんですか?」がなかなかに参考になります。

はじめに、禅のみならず仏教全般について、伊藤氏の質問に答えるという形で、明快に語られています。例えば「中道」「出世間」の話が印象的でした。

・「中道」とは、2つの行き詰まりのどちらからも離れた道のことである。

1つは、感覚的な快楽に溺れている生き方、もう1つは、自分の心身を責めさいなむ苦行的な生き方である。どちらの行き詰まりからも離れた道を行くことが大切である。一般に言われる「極端」ではなく、「行き詰まり」と表現するのが「言い得て妙」ですね。

・出家した先にあるのが「出世間」である。これは「所有」から離れることである。

われわれ世間の人間は「所有の生活」をしている。物質的なモノに加えて、知識、地位、プライド、能力、宗教的体験などが欲しい、という「所有の次元」で生きている。

一方で、老病死は「存在」の次元に関わるものである。所有の次元で生きている限り、解決がつかない。それゆえ違う次元の生き方を探ろうと、釈迦は出家した。

平易な表現でスッと分かる表現ではないかと思いませんか。

 

そして、その後の章では、藤田一照氏が修行している曹洞宗の成り立ち、曹洞宗が意図すること、坐禅の方法、実戦での要点などがより詳しく語られてます。

藤田一照氏がポイントとして挙げられているのは以下の点でしょうか。

・「禅は苦行ではない」ことを強調。

道元師の言葉などを紐解きつつ、ご自身が体験した野口体操、ソマティックワークなどを積極的に取り入れ、快適に修行するために身体をしっかりと整えることを大切にされていることが実感されます。

・起きているまま、鏡のように映している状態で坐禅する。

何より大切なこととして、心身を整えるテクニック的なものはあくまで準備に過ぎないこと、人為を働かせるのではなく、今起きていることに何も足そうとしない引こうともしない、起きているまま、それをこちらから能動的に変化させようとしないで、そのまま鏡のように映している状態であることを強調されています。

 

ボディワークを取り入れるという一見、斬新なアプローチを取っているにも関わらず、全体を読んでみて藤田一照氏は、曹洞宗の宗祖である道元師の教えに立ち返ることを目指されているように感じます。道元師の言う「禅は苦行ではない」という点に立ち返るための取り組みですしね。

主に曹洞宗の禅について、そして臨済宗の禅、仏教について参考になる本だと思いました。

 

 

 

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