「知らないことすら知らない」ということ -「日本人が一生使える勉強法」という本の中の言葉-
今日は、たまたま本屋で見つけて購入した本についての記事を書きます。
それは、竹田恒泰氏の「日本人が一生使える勉強法」です。
この方は、マスコミでも結構有名なようですね。
実は私は、この方がテレビで発言されているのを視たことはありません。
いや、忘れているだけかも・・・
まあ、そのような事は関係なく、
この本の中に同意できる意見があったため、ここに取り上げることにしました。
それは、学問の研究や勉強に関する竹田氏の意見についてです。
以下、意訳的に引用します。
まず、一つの専門分野で学問を修めること。
次に、もう一つ別の専門分野で学問を修めること。
次に、さらにもう一つ別の専門分野で学問を修めること。
その過程で、自ずと総合力と統合力が備わる。
注:本の中では「学問を究めること」とありますが、遠すぎる気もしましたので
「学問を修める」という表現にしています。なので「意訳的」です。
さらには、このようにも書いておられます。
勉強するほど無知になっていく、と思えたら本当の勉強をしている証拠。
勉強を突きつめていくと「知らないことすら知らない」ことが山ほど
あることに気づく。
「知らないことすら知らない」というのは、自分が知らないということを
自分自身がまだ気づいていない領域である。
勉強すると「知らないことすら知らないこと」が「知らないこと」に転換
される。すると頭の中で「知っていること」の比率が低下するから、
「勉強するほど無知になる」という現象が起きる。
それは良い傾向であり、理想の勉強である。
レオナルド・ダ・ヴィンチが様々な領域を研究したのもそういう面がある。
要約が長くなりましたが、全くの同感です。
竹田氏の場合は、憲法第一条の理解をしようとして、歴史、日本神話、
外国の憲法と成り立ち、など次々と学んだ、ということなのだそうです。
同列に語るのはおこがましいですが、私の場合でも、ある分野の本を1冊
読んだ後で、氏の言われるように「自分が知らないこと」を知ってしまいます。
そんな時、さらにどこまで勉強したら分かるのだろう?と不安感さえ覚える
ことがありますので、深く共感すると同時に、別に珍しいことではないと知り、
安心感さえ覚えました。
ソクラテスの「無知の知」ではありませんが「知らないこと」を知っているという
ところから勉強や研究が始まるのだな、ということを改めて認識させて頂きました。
私は、ヘミシンクはじめ「皆様の前でお話をさせて頂く」機会がありますが、
一つの分野を知ると同時に、広い範囲を次々と学ぶ必要性も痛感しています。
幅広く、泥臭く(?)多方面に当たりながら、時にアウトプットという有益な
方法も交えつつ、勉強を深めていく必要があるのかな、と思っています。
本屋でたまたま見つけた本によって、そのようなことに気付かせて頂けました。