反知性主義、アノミーなど現代社会のテーマが、既に90年前に語られていることに驚嘆する、オルテガの「大衆の反逆」はおすすめです!
今回は、スペインの哲学者であり、政治にも進出したオルテガによる印象的な著作「大衆の反逆」のご紹介をします。
オルテガは1883年生まれで、この「大衆の反逆」が刊行されたのが1930年です。
ちょうど、第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだです。
本書は、NHKの「100分de名著」でも取り上げられたことがありますが、番組では政治学者の方が解説されていたからでしょうか、どちらかと言うと、社会学的な見方と言うより、政治的な見方が強かったように記憶しています。
私は社会学に興味を抱いていますので、そういった視点から本書を読んでみました。
さて、本書のメインテーマとなっている「大衆」とは?
オルテガの文章を引用します。
大衆とは (中略) 平均人である。質を共通にするものであり、社会の無宿者であり、他人から自分を区別するのではなく、共通の型をみずから繰り返す人間である。
大衆とは (中略) 自分が《みんなと同じ》だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じて、かえっていい気持になる、そのような人々全部である。
大衆とは、生の計画がなく、波間に浮かび漂う人間である。だから、かれの可能性と権力とが巨大であっても、なにも建設しない。
いやはや、何とも辛辣に書かれていますね。
「同質で受動的な人々」といったところでしょうか。
このような状況となった背景には、1800~1914年のヨーロッパの爆発的な人口増加がある、とオルテガは言います。
急速に社会の構造が変わり、社会規範、価値観などが急速に変わっていったのでしょうね。
そしてこの大衆が、ヨーロッパの社会的中枢に躍り出たことこそ、深刻な危機であるというのです。
上のオルテガの文章にも十分書かれていますが、もう少し補足すると。
・19世紀の経済的発展、科学技術の進展などにより、豊かな社会で育った大衆は、あたかも自らを勝者の如く、自己満足的にふるまうようになった。
・そして大衆は、当時の既存のヨーロッパの規範、価値体系や権威を古いものとして否定したが、これに代わるものは創造し得なかった。そのような能力を持ち合わせていなかったのである。
・大衆自身も、ただ自由であると感じると同時に、自分が根なし草のごとく、空虚であると感じている。
そういった大衆が、社会そのものとなった「当時の社会」に、オルテガは危機感を抱いたのです。
この辺りの鋭い分析を踏まえると、当時にはもう、権威(=既存の知性)に対する反知性主義の萌芽のようなもの、根なし草となってしまった大衆のアノミー(=無規範)状態の兆しを感じさせられます。
現代社会の兆候が、早くも1930年頃には見られていたようです。
さて、そんな時代に対し、危惧を抱えながらもオルテガは、どのような処方箋を考えていたのか?
オルテガは「一定の仕方で生きることを強制する戒律がなければ、われわれの生は、まったく待命状態になってしまう。これが世界の最良の青年たちが直面している恐るべき心理状態である」と言ったり、
「支配(オルテガは「支配」を権威の正常行使の状態と考えています)するとは、人に仕事を与えることであり、かれらを自己の運命の中に、枠の中に押しこむことであり、常軌を逸するのを禁ずることである。常軌を逸することは、放浪、空虚な生、荒廃であるのが普通である」などと言っています。
現代社会では、なかなかに受け入れられなさそうな考え方ですけど・・・権威や規範の復活が大切であると言っているのだと思います。
当然ながら、権威、規範がおかしなものだと、おかしな世界になってしまうでしょうから、正しい規範、権威を選ぶことが、 ―― 難しい取組みにはなるでしょうけど ―― 基本となる枠組み、ベースであり、必要なことのように思えます。
それから、もう一点思ったこととして。
私たちが生きている現代は、オルテガの生きていた時代より、(良いか悪いかは別として)もう一歩進んでいるように思います。
すなわち、
私たちは「人と全く同じことで安心する」側面を確かに持っているけれど、社会の成員として、その中で自立的に(自ら考えて)生きることが重視されてきているようにも思います。
ただ、そこに規範などがなく「ただ目立ちたい、奇をてらった」ものも散見されますけど、健全な個性を輝かせている人も現れてきている時代のように思います。
今回は、本書「大衆の反逆」を一回のみ通読したのみで本ブログを書かせて頂きましたが、、、
本書「大衆の反逆」は、再度読むとまた違った視点が得られそうな、奥の深い本だと思います。
ぜひ読まれてください!