スピリチュアルなどを探究する際は、伝統宗教などを【体系的に学ぶ】ことも大切だと気づける「現代霊性論」のご紹介
大学の先生であり武道家の内田樹氏と、浄土真宗僧侶であり大学の先生でもある釈撤宗氏による、神戸女学院大学院で行われた「現代霊性論」の講義録をもとに制作された本「現代霊性論」のなかに、参考になる点、ハッとする点がありましたので、ご紹介します。
早速ですが引用してみましょう。
最近のスピリチュアリティ・ムーブメントの多くは、霊界など「日常の外部」に力点を置きます。
そのような世界観に基づくストーリーを、文化やエンターテインメントとして楽しむことはアリだと思います。
問題は、そういうものに自分自身を丸ごと預けてしまったり、そのために余計に苦しんだりする人がいることじゃないでしょうか。
「日常の外部」を設定すると、たしかに日常が豊かになりますが、それが過ぎると日常を軽視してしまう可能性もありますから。
これはもう、歴史的に山ほどの事例があるのですが、「(あの世などの)外部世界」に対して、あまりに無批判、盲目的に没入してしまうことで、現実社会とのバランスが取れなくなったり、生活そのものが破綻してしまうことがあります。
適度な距離感を保てなくなる、ということですね。
人は時に、物事に没頭・熱中することが大切なのですが、その対象が外部世界であったり、社会から逸脱するものである場合に、
(もちろん全てではありませんが、)後戻りできなくなり人生そのものを破綻に導いてしまう可能性がある、ということです。
基本的には自身が「面白そう」と直観したことにコミットメントしていくことこそ、その人の人生に「生きがい、やりがい、軸」を確立するうえで大切だと思うのですが、
そこには、ある程度対象物と距離を取って俯瞰的な視点を持つことが必要なのかな、と感じます。
この辺りのバランス感覚は難しいのですが・・・
没頭するなかで、少しだけ息をついたタイミングで自身を振り返ったり、没頭するなかでも社会(=主に他者です)との接点を持ち、コミュニケーションをとることなど、
軌道修正(本書内では「リミッター」とのことばが用いられています)できる仕組みを持っていることが肝要ではないかと思います。
さらに釈撤宗氏は続けます。
現代のスピリチュアリズムは、個人的な、ごく私的な体験を重視する傾向が強いんです。
その手のものに足をすくわれないためには、伝統的主流宗教への理解や学習が必要だろうと思います。
霊性やスピリチュアリティの「毒」を避けるためには、やはり体系的に制度宗教を知ることは必要じゃないでしょうか。
伝統宗教教団は、長い間かかって鍛錬されてきた鋼(はがね)のような体系を持っていますから。
ここで2点ほど補足やコメントさせて頂きます。
1つは、引用の冒頭にある「スピリチュアリズムの持つ、個人主義的な傾向」について、です。
「対象とうまく距離を取る」という条件付きで、個人的に楽しみ・気づきを得ようとする活動において、「足をすくわれる」事態にはなりにくいのではないか、と思います。
重ねて言うと、距離感と俯瞰性は必須ですが、現代のスピリチュアリズム自体が、即危険などということは全くない、と補足したいと思います。
そしてもう1つは、釈氏が浄土真宗の僧侶のご立場であることに留意することです。
釈氏はここで、「伝統宗教の体系こそがスピリチュアルの持つ毒性を中和してくれる」旨を書かれています。
実際にこの講義本を読むと、釈氏がとてもバランスの取れた方だということがよく分かります。
そして伝統宗教が一つの「毒性の中和剤」として極めて有効なことに同意します。
ただこれは、釈氏の立場ゆえ、伝統宗教が中和剤としてピックアップされているのだと思います。
伝統宗教に加えて、現実社会で地に足をつけて日々の生活を行うことそのものや、内田氏のように武道などで身体性をしっかりと保つことや、社会学・心理学ほかを学ぶことなどでも広い視点を保つことができるのではないかと思います。
本書には、他にも興味深い点がありますが、それは別ブログで書かせて頂きます。
本書「現代霊性論」は、結構昔に出版された本ですが、興味深い内容ですよ。