たけし(北野武)さんの、過激だけど心に留まるお話 -現代社会の話-

 

先般より、たけしさんの本を読んでみて、様々の感じ入ったことを書かせて頂いてきました。

今回は、過激だけど「んっ、たしかに・・・そういう面はあるよな」と心に留まる「ことば」をピックアップしてみます。

まずは。

お金がないことを、そのまま「下流社会」といってしまう下品さに、なぜ世の中の人は気づかないのだろう。

(中略)「武士は喰わねど高楊枝」という気概はどこへ消えたのか。

生きていくにはお金が要ることを受け入れたうえで、また人間とは一皮剥いたらいろんな欲望の塊みたいなものだと認めたうえで、その一皮のプライドを大事にすること、それが文化だと言われています。

ここには、「お金以外の価値観を切り捨ててしまっていること」への危機感を感じます。

さらに。

贅沢幸福別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。そんなことは誰でも知っている。

だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ幸せになれないと脅す。

そうしないと経済成長が止まって大変なことになってしまうからだ。

だけど大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。

少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。

なかなかに強烈な意見ですね。

けれども慧眼だと思います。

このような感じで、経済至上主義、マネー至上主義という「枠組み」にしっかりとハマっている現代社会に対する警鐘が、たけしさんの本のあちこちに見受けられます。

そして。

人々を取り巻く環境が、どんどん手軽薄っぺらになって、人々の思考能力は低下していく。

そして人々が馬鹿になればなるほど、世の中はますます手軽で薄っぺらなものが流行るようになる。(中略)

この雪玉は止められない。なぜなら、それが現代資本主義のテクニックなのだ。均質化した馬鹿が増えれば、金儲けのチャンスはより大きくなる。(中略)

知識だの教養までもが薄利多売の大量消費になってしまった。

ちなみに原文は、「人々」ではなく「若者」でしたけど、どう考えても若者以外のみんなに当てはまるので、「人々」に代えさせて頂きました。

まあ、何とも過激なことばですけどね。

ますます「スピードが速く」なり、「効率化」していく現代社会に対しての鋭い視点だと思います。

今、社会が向かっている「スピード化」「効率化」「平坦化」という方向性が、果たして危機的状況なのか、進化なのかは、実は私もよく分からないのですが・・・

ただ、私自身としては直感的に、「深み」とか「ゆとり」を失わないような生活が大切だな、と思っているので、たけしさんの意見には共感します。

 

さらにたけしさんは、人間の目には見えない、聞こえない情報を切り捨てる=デジタル化社会において、「世の中のあらゆる表現が薄っぺらになっている」「人間の感情は、0と1の2進数に変換するにはあまりに複雑すぎるのだ」ということを仰っていたリ、

携帯電話、スマホとは、ほとんど意味のない会話やメールや情報のやり取りをするために無駄なお金を払わされ続けてしまう仕組みであると喝破されたりで、

まあ、鋭くも過激なことばが多々見受けられます。

私自身も大いに身に覚えがありますし、時おり違和感を感じながらもそのまま放置しているような事柄に対して、たけしさんが言語化して表現されていることに、改めていろいろと気づかされますね。

う~ん、どうなんでしょう。

今、大切だなぁとおもうのは、メディアなどから与えられる情報・仕組み、さらに言えば伝統的な慣習といわれているものにさえ、一歩だけ引いた立場で眺めてみることではないかと思います。

そして、果たして「直面しているそれって、どういうことなのか」ということを「自分の頭で考えてみる」ことが大切なのでしょうね。

別に、今の社会の方向性を全否定する必要はないので、自分で必要と思うことは取り入れながら、で良いのだと思います。

 

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