私が哲人の【入門書】をおすすめする理由 -哲人の入門書を読んでみましょう!-
久々に、哲学について書かせて頂きます。
今回は、私が「哲人たちについての入門書をおすすめする」理由です。
西洋哲学は、前の哲人の説を否定したり、進展させたり、統合することで発展してきたという側面があります。このため、まず西洋哲学史を概観することが西洋哲学について知るために有効であり、以前の記事でも、何回かに分けて面白い哲学史・入門書をご紹介させて頂きました。
そして、西洋哲学史を概観した後は、各々の哲人たちに関する入門書を読むのが良いと思っています。その際は、興味の赴くまま、気になる哲人の入門書を手に取れば良いのかなと思います。
巷には、哲人自身の著書、学者による専門書が溢れており、これらを読むことは有効だとは思いますが・・・ 如何せん、敷居が高く感じます。
例えば、カントの「純粋理性批判」などの原書(日本語訳)を読もうとすると、分厚いうえに、表現が難解です。また、ハイデガーなどは何十通りにも意味が取れるという話があったり、デリダなどはわざと分かりにくく文章を書いているという話まであります。
※デリダは「意味とは一意ではない」ということを分からしめるために 分かりにくく書いているという話です。
さらには、いきなり細部の論点に入ったり、難しい言葉を難しい言葉で言い換えているような専門解説書もあるように感じます。
私には、このような原書・専門書には、哲学のための作法というか、ある種の前提の知識を要求してようで、なかなかに読みにくいものだと感じます。何かと忙しい社会人には、これらを読破する時間も確保しにくいなあ、と感じています。(失礼を言って申し訳ありません)
具体的に書いてみましょう。
これは、カントの純粋理性批判の一部です。
どうでしょうか? 私自身は歯が立ちませんでした。
また、カントの例で言うと、例えば「判断力批判」という3大批判書の「判断力」の意味を、皆さんはどうとらえるでしょうか?
意外や意外、ここで使われている「判断力」は、様々な事例の中から普遍的なものを探し出すという意味で使われるのです。
全く持って一般とは違う使い方だと思われませんか?
これはほんの一例にすぎません。このようなケースが枚挙に暇がないのです。いきなり原著にあたって、日常の常識的な意味合いで読もうとすると行き詰ってしまう場合もありそうです。
私は、各哲人の入門書を読むことをおすすめします!
さて、ここでちょっと各哲人の入門書を読むことの、良い点、注意点について整理してみます。
【良い点】
・馴染みやすく、分かりやすい。
読者が「知らないこと」を前提に書かれていますので、根本的な問い(何が問題なのか)、時代背景(そもそも何故そのようなことを考えたのか、等)から書かれており、頭の中が整理されます。
・思想を体系的に捉えることができる。
いきなり細部について書かれた専門書に難渋する前に、全体を俯瞰した方が、その後の読書に良い影響を与えます。
・世間的に定番となっている解釈法・評価を知ることができる。
その道の専門家が書かれているものなので、スタンダードな解釈方法を知ることができます。
【注意点】
・型にはまった解釈となる危険がある。
・著者によっては、解釈に癖がある。偏った解釈をしてしまう危険がある。
定番的な入門書を読むのが良いと思いますが・・・そもそも「定番」自体も筆者のバイアスが多少入るでしょうし、相性もあると思います。理想的には、複数の入門書・解説書を読めばよいのでしょうね。
そして、その次に、原書を読んでみると良いように思います。