脱中心化した上で「統合する」ということ -意識の探求編-
私は、長年会社勤めをしてきましたので、科学、経営学といったものにどっぷりとつかってきました。
一方で、気功、瞑想、ヨーガなどの東洋的なものにも興味を持って実修したり、ニューエイジ的なものとしてジャンル分けされているヘミシンクを実修してきました。
このように、私のベースは、現代科学、東洋哲学なもの、ヘミシンクなどにあると言えます。
加えて、(必ずしも時系列に並んでいるわけではありませんが、)ここ7,8年くらいは、意識的に心理学、西洋哲学、宗教学、社会学など、新しいジャンルについても学んできています。
まだ全くもって途上であり、学べば学ぶほど新たに分からないことが出てきて途方に暮れそうになることもありますが、自分自身学ぶことが楽しいので、結構な年数継続しています。
脱中心化すること、相対化すること、そして統合すること
実はこのように新たなジャンルについて学ぶことは、私自身に計り知れない恩恵を与えてくれています。
それは。
このような新しいジャンルを学び実修することこそが、自身のベースとなっている価値観をも脱中心化し、相対化(ベースとなる知見を絶対視せず、総体的なものとして批判的にも捉えられる視点)することになるのです。
ニューエイジ志向の人は既存宗教を古いものと見なしたり、既存宗教の人はニューエイジを無視したり、科学者は形而上学的な世界全般を否定するなど、自身が携わる分野以外のものを軽視する傾向があるように思えます。
むろん、私自身にもそういう傾向があります。
しかし、です。
経験上、各々には各々の優れた点があるのは確かです。
これらに対し総合的に学び、自身の中で統合していく(含んで超えていく)ことが大切なのではないかと思います。
最新の知見には最新の、伝統的な知見には伝統の優れた点や良さが、必ずあるのですから。
そして、ちょっと訳の分からないことを言いますが。。。
最終的には、それらの統合的な知見さえ捨て去って、「超えた世界に至っていく」のだと思っています。
書いていて我ながら、肩に力の入った文章だなぁ、とは思うのですが・・・
言いたいのは、狭い1つの世界に中心化しすぎることは危険であること、
視野を広げ俯瞰の視点を養うことが大切なこと、
そのための1手法として「多くのジャンルを学ぶこと」があるのだろう、ということです。
悟った人の目からは「真理はシンプルである、あれこれと学ぶことは迷いである!」と一喝されそうな気もしますが・・・
1つのジャンルを脇目も振らず邁進することは素晴らしいですが、自身が出会った1つのジャンルが必ず真理の世界であるとは限らないわけで・・・
自身を相対化し、それらを統合することの大切さを思う、今日この頃です。