人間には「自我の限界」を越えようとする願望がある:リンドホルム著【カリスマ】で語られていること。
カリスマと聞いて、皆様は何を想像されますか?
何やら超越的な力を持ったミステリアスな人物を想像しませんか。
カリスマとは、元々「神の賜物」の意だそうで、英雄、預言者、教祖などに見られる超個人的・非日常的な資質や能力のことを言います。
チャールズ・リンドホルム著「カリスマ」は、そのようなカリスマの性質について、深層心理学、社会学、宗教学、人類学など多方面からの知見を持って考察した、たいへんに興味深い書です。
印象的な内容は多々ありますが、抜粋してみます。
リンドホルム曰く、
私たち人間には、「自我の限界を超えよう」という根源的・普遍的な欲望があると言います。
言い換えると、「自己喪失の願望」があるということで、フロイトのモデルでいう「初期幼児期における自他未分化の溶解状態に回帰したい」との欲望のことです。
その最たる(極端な)状態が、カリスマ集団への溶解であり、これは第二次世界大戦時やカルト教団など、歴史的に何度も出現している事実です。
今、「極端な状態」と書いた通り、実はこのような欲望はかなり弱められ、また多岐に渡りますが、現代社会にもその芽は存在しているのです!
例えば、祝祭における集合的沸騰。
日本のお祭りは比較的穏やかですけど、海外には、激しく自己陶酔的な祭りがありますね。そういったものです。
また、アイドルやスターへの傾倒。
これは日本で顕著です。
そして、モノの消費、恋愛、国家的シンボルへの同一化などもそうです。
要するに、集団(恋愛の場合は2人ですが、多くは集団的です)の中に溶け込んで、我を忘れて熱中するといったイメージです。
日本だと、ワールドカップやオリンピックへの熱狂なども分かりやすい例だと思います。
これらは基本的に一時的で、日常の刺激といった趣きですけど、中には恋愛のように、時には周囲さえ忘れるほどの没入状態に発展しさえします。
かなりの隔たりはありますが、その延長線上にカリスマ現象がある、と著者は言うのです。
※いわゆるカリスマ現象による反社会的な事件は、危機的社会状況とか、その集団が異常だとして孤立化させられた時、元々含んでいた反社会的病理性が現れる場合のみに出現する、と言われています。上記のような自己喪失願望をかなえる、他の選択肢がある社会では、「カリスマは出現しにくい」と言われます。
ただ、このように多様な選択肢がある現代社会において、伝統的価値観の崩壊、複雑性、個人主義、孤立化などにより、人々は内面の空虚さを抱え勝ちになる一方で、
根源的な欲望である自己喪失の欲望を満たすべき、生身の人間の接触(交感)がますます乏しくなっている状況は、
カリスマ現象とはいかないまでも、ある意味危険な状況ではないか、とも言えます。
まあ、たしかに「自己喪失の欲望」などと言われると、「何だそれ? そんなもの自分にはないよ」といった感覚になるのも分かりますが、、、
個別化が進み、絶対の価値観がよくわからない現代社会では、少なくとも「(たとえ一時的でも)個人を超えたものと接触しておきたい」という願望はあるのではないかと思います。
大切なのは、その接触する「個を超えたもの」が何か?ということなのでしょうね。
本書「カリスマ」には、書き切れない程の興味深い見解が述べられています。
ぜひ手に取って見られるのはいかがでしょうか。