【仏教の五蘊】は、「私は肉体を超える存在である」との教えとも言えますね。

ブッダは、私たち人間は色・受・想・行・識の5つの要素が仮に集まったもので、それらは実体ではないと説きました。

※それでは、5つの要素を引き寄せる”元=実体”は何なのか?との問いはあります。ブッダは、”元”の存在については無記(=語らない)の立場を貫きました。いわゆる、インド伝統の本質「アートマン」があるかどうかには言及しないのです。あれこれ議論することは、仏教修行には関係ないからです。

5つの要素を引き寄せる元=実体=本質について、ブッダは語っていないとは言え、私たちの本質が五蘊ではない、つまり肉体ではないことはもちろん、感情、理性などでもないと明確に説かれているのです。

私たちは日々の生活に埋没し切っていると、つい感情と同化したり、これまで身につけてきた信念に振り回され勝ちです。

が、それらは本質ではなく、非本来的なあり方であるとの教えは、ヘミシンクを聴き続けながら、そして瞑想や聖なる書物に触れたり、日常生活での実践を心がけることで、ほんの少しだけ実感できるようになっているように思えます。

日常生活には、思わぬ事態があったり、リズムを乱されるようなことが起きますので、「肉体を越える世界のみが本質で、肉体は幻である」ことについて分かったなんて到底言えませんけどね。

タイトルにあるブッダの五蘊の教えや、ヘミシンクのアファメーション「私は肉体を超える存在です」、荘子の「坐忘」など、肉体を超えた本質の世界について、少しでも近づいていきたいと思う今日この頃です。

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