【ブッダの真理のことば、感興のことば】は、原始仏教の世界観が分かる格好の書です。 《原始仏教・原始仏典について》

 

今回は、原始仏典(パーリ語仏典)の中ではスッタニパータと並んで最古の経典とも言われる【ダンマパダ=真理のことば=漢訳の「法句経」に相当】と、ダンマパダに他の詩句が加わった【ウダーナヴァルガ=感興のことば】二経が収められた、

ブッダの 真理のことば 感興のことば」についてご紹介します。

 

ダンマパダ小部経典に収められていますが、ウダーナヴァルガはよく分かりません。編纂の経緯など歴史的な状況などもよく分かりません・・・

この二経については、内容が簡潔でたいへんに興味深いものなので、今回取り上げさせて頂いた次第です。

通読させて頂いてみて思うのが、本経は「出家した修行者の道」が示されるとともに、「日常的な教え」がかなり具体的に示されている経である、要するに「修行的な話」「世俗的な留意点」が混在しているような感を抱きました。

長部経典などでは、経ごとに教えが絞り込まれている(例外はあります)ので、それとは異なった印象を持ちました。

このためか本書は、本経について「人間そのものへの深い反省や生活の指針が、風格ある簡潔な句に表されている」と紹介されていますね。

ただ、これは若干微妙な紹介のように思います。

というのは。

先程私は、「修行的な話と世俗的な留意点が混在している」と書かせて頂きましたが、「世俗的な留意点」についても、あくまで「涅槃に至る修行の道」が念頭にあり、そのうえで生活上、特に内面的な心に関する留意点が書かれているのではないかと思います。

まあ、とは言え、世俗的な留意点のような文章だけ切り取っても、それは十分に意味があります。

ブッダの教えは、この世界(世俗)で「執着を生み、苦をもたらすことを避ける」のが基本にありますので、この世界でも有用な、心に安楽をもたらす教えであるのは確かで、日常世界の指針になり得ます

世俗の世界観だけを持って本書を読むと、そこから逸脱した世界のことを語られているので留意が必要です、と言いたいのです。

 

さて、ここでちょっと、その具体例を挙げてみます。

真理のことば(ダンマパダ)の冒頭に、結構有名なことばとして、

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。

怨みをすててこそ息む。これは、永遠の真理である。

なかなかに難しいことですけど、これは確かに我々の社会・生活・人生において当てはまることですよね。日常生活の指針となり得る話です。

一方、この章ではその後、

この世のものを浄らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。

この世のものを不浄だと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制して、食事の節度を知り、怠けず勤める者は、悪魔にうちひしがれない。

と言われているのです。何と「この世を浄らかと思いなす」ことが、「悪魔に屈服する道」であると言うのです。不浄なこの世に対し、自らは感官を抑制し、食事を節制し、勤めなさいと言われているのです。

さらに典型的には、

善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。

かれは、自分の行為が浄らかなのを見て、喜び、楽しむ。

「善いことをする」だけでは涅槃に至らないためでしょうか、涅槃に至る(解脱する)のではなく、「来世で喜ぶ(生まれ変わることも含意されています)」となっていますけど・・・「この世」だけを考えている人には、「来世」という言葉が出てきて、とまどうことでしょう。

それはともかく、「この世」と「来世」、すなわち「俗世」と「いずれ涅槃に至る修行的な道」の二本立てで怨みを捨てることの功徳が書かれているのです。

あくまで、涅槃に至ることを念頭に書かれていることに留意が必要だと思います。

本経は、基本的にこのような論旨の章が多くあります。

輪廻、因果応報といった世界観が根底に流れていると感じます。

そのことを承知したうえで読めば、本経には素晴らしいことばが多々収められており、時に紐解くには絶好の書(経)であると思います。

 

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