原始仏教の特徴は「捨てること」「離れること」→厳しい【戒】について 《原始仏教・原始仏典について》
原始仏教を読んでいて、
原始仏教の特徴は「捨てること」「離れること」「止めること」「断つこと」だと感じます。「超えること」とも言えますね。
今回は、この中の前者3つ「捨てること」「離れること」「止めること」が如実に表れた「戒」について書かせて頂きます。
中村元氏「原始仏教」の第一巻には、修行者がすべき修行内容に関する経が多々あります。多くの経で修行者が守るべき戒律として「小さな戒め」「中の戒め」「大の戒め」の3つが出てくるのですが、まあ多くの戒がありますねぇ。
以下抜粋してみます。
小の戒めでは、
生物を害することを捨てる/離れる、与えられないものを取ることを捨てる/離れる、(以下「捨てる/離れる」の文言を省略して、)清らかでない生活を、嘘を、中傷を、粗野なことを、無意味で飾ったことばを、演劇や歌謡などの娯楽を観ることを・・・(まだまだありますが省略します)・・・捨てる/離れるよう書かれています。
中の戒めでは、
種子および草木の生命を損なうことをやめる、飲食物・衣類などの貯蔵と享受をやめる、(上記「小の戒め」以上に細かく、例えば手品、語りもの、園芸、相撲など)娯楽を観ることをやめる、種々の賭け事や遊びをやめる、高い寝台・大きく立派な寝台を用いることをやめる、身を飾り美しく化粧をすることをやめることが書かれています。
大の戒めでは、
(驚くほど細かく、そして多様に)呪術、よこしまな生活手段で生計をたてて暮らすことをやめることが書かれています。
また、戒について書かれた後、眼、耳、鼻、舌、身体などの感覚器官から入ってくるものを注意深く閉ざす(門を護る)こと、五つの蓋い(貪欲、嫌悪、憎しみ、ものうさとのんびりした鈍さ、心の浮わつきと後悔、疑い)を捨て去ることなど、
とにもかくにも捨てること、離れること、止めることが列記されています。
この世の諸々のものに対する執着を捨て、この世に生まれ変わらないことを目的としているのだから、まあそうなのだろうとは思いますが・・・読んでいて私は、この「戒」の段階が一番厳しいんじゃなかろうか、とさえ思いました。
ブッダの時代よりはるかに感覚器官を楽しませてくれるものに溢れている現代社会では、諸々の「楽しいもの」などを捨て、離れ、止めることはかなり厳しいでしょうね。
この戒律を守るには、出家して完全な世捨て人にならないと厳しいのではないかとも思ってみたり(あくまで私の抱いた印象です。出家を推奨するものではありません)、
このような厳しさ、ある意味社会を否定する面を考えると、一般大衆の隅々まで広がることはあり得ない、それゆえに大衆に広がっていくために変節を遂げていったという側面もあるのだろうなぁなどと思いました。
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