原始仏教について簡潔に分かる! -中村元の仏教入門-

 

今回は、日本の仏教研究の第一人者である中村元氏による仏教入門書中村元の仏教入門」をご紹介します。

 

 

この本は、中村氏が設立した私塾:東方学院での講義録を元に作られています。そういった意味では、著書というよりは、中村元講義録ですね。

このため、たいへん分かりやすい表現で、仏教について語られているように思います。

まずは一点、注意点です。

本書名では仏教入門となっていますが、本書で主に語られているのは、釈尊(ブッダ)と原始仏教についてです。

日本に伝わった大乗仏教、各宗派の教えを知りたくてこの本を手に取ったとすると肩透かしを食らうことになります。

 

さて、本書の冒頭では、まず用語の話とか聖典の種類とか、結集の話など、仏教の枠組みについて俯瞰的に語られています。

そんな中、私が「なるほどなぁ」と思ったのが、

「インドでは歴史に無頓着」なので、釈尊の生誕年はよく分かっていないという話です。記憶では、釈尊の生年は、紀元前5世紀とか6世紀など100年くらいのズレがあるようです。

インドでは、輪廻という考え方が根付いているため、現世でいつからいつまで生きていたのか、あまり関心が無いのでしょうかね。

そして本書は、仏教の第一人者の講義ということで、ブッダの教えが端的、明確に語られている点が特徴です。

端的な文章を幾つか挙げてみます。

我々の個人存在というものは、5つの執着による集まりであり、それがである。

5つとは、色・受・想・行・識で「五蘊」とよばれている。

 

一切の事物はもろもろの因縁が合することによってつくられている。いろいろな原因だとか条件だとかが合わさって、人も生まれてきているのだし、いかなる事物も成立している。

それらは実体のあるものではないから、常に変遷し移り変わる。刹那もとどまることがない。万物は移り行く。=諸行無常

 

いかなる行為も、不可避的に結果をもたらす=業の法則

人間が妄執に悩まされ、業を作っているのはなぜか。

自我に固執しているからである。しかし一切が苦しみである。一切のものは移り変わる。無常である。いかなるものも我ならざるものである。我に非ず。そういう理を悟って正しい智慧を完成したならば、妄執を断ずることができる。

 

真理の認識を体得するためには、修行に努め、戒律を守り、禅定を修する必要がある。

その修行によって真理を体得し、妄執を断じたならば、一切の束縛から脱出する=寂静、涅槃

 

究極の悟りを得て、根本の無知である無明をなくすと、迷いの生存も消滅する。

などなどです。

いかがでしょうか?

シンプルで的確な表現だと思いませんか。

読んでみることで、ブッダが唱えた原始仏教のアウトラインが見えてきます。

日本に伝来する大乗仏教とはかなり体系が違いますね。

また、最後の方には「仏教の実践倫理」と題する章があります。こちらは前章とはうって変わって、我々の普段の生活に関わる仏教の倫理的側面のお話です。

かなり前章とは趣が違うなぁ、と感じました。

 

このような感じですね。

仏教の第一人者による原始仏教の解説書は分かりやすいですよ。

 

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