なぜ、私は【会社を辞める】という選択をしたのか? 2つ目の理由をシェアします。

 

先日の記事で、

私が会社を辞めた理由の1つは、一生涯を会社員と同一化し過ぎた、会社員一色の生涯を送るのではなく、深くて広い世界も見てみたかったからと書かせて頂きました。

 

そして今回は、2つ目の理由について書いてみます。

2つ目は、価値観に関わる理由と言えるかもしれません。

 

恐らく、どの会社でもそうでしょうが、特に西暦2000年以降に顕著になったことです。

私がいた会社では、半年毎に大きな振り返りと今後の予定を立案していました。

そしてそれらは、退職直前頃には3ヶ月毎になっていました。

※部課単位で、このくらいの間隔で予定立案・振り返りをするのですから、個人単位ではもっと短期間で綿密に行っていたのは言うまでもありません。日々の個人活動が集積して部課単位のものとなっていくのです。

 

このような短期間で何を振り返り、何を予定していたかと言うと、

・売上/利益が伸びたか?

・どれだけ無駄を省き、効率化できたか?

・コストダウンできたか?

・どれだけ人材として成長できたか?

そこには、いわば、果てしない利益主義、効率主義、成長主義があり、それらを基準に振り返りや予定立案が行なわれていたのです。

少しでも無駄を省き、精密、綿密に、あきらめずに需要を創出し市場を開拓していく・・・

日々強烈な競争に晒される企業ではどこでも当たり前に行われていることであり、むしろこのような取り組みを怠れば、たちまちに市場からの退出を余儀なくされてしまいます。

当然と言えば当然のことなのです。

別に、私が所属していた会社だけの話ではないのです。

市場経済とは、自由競争が前提となっていますから。

 

しかしながら、年々激しく厳しく世知辛くなっていく中にいて、

・ここまでやって、ようやく生き抜けるって、どういう世界なのだろう?

・こんな状況が続いて、世の中は持続可能なのだろうか?

・(一般的な)会社の将来はどうなるのだろう?

他にもいろいろとありますが、代表的には上記のような疑問が膨らむ一方でした。

 

すでに社会では、ブラック企業という名の、あたかも社員をモノ(変動費)として扱うような恐ろしい事例も現れ、就職できない若者も増えている・・・

乾いた雑巾をさらに絞るような、無理に無理を重ねている状況のように感じました。

 

このような、年々激しく、忙しく、ゆとりがなくなっているように思えた状況、言い換えると、成長至上主義、極端なマネー主義から降りて(「ずれて」と言った方が適切かもしれません)、スピードを緩めて、ゆとりをもった生活を行っていきたいと考えるようになっていったのです。

 

これが、会社を辞めた理由の2つ目です。

これ以外にも様々な要因があるような気がするのですが、なかなか言語化できません。

前回、今回で2点書かせて頂きました。

 

半ば直観的にシフトダウンする必要性を感じ、行動に移したのです。

 

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