堀江貴文さんが生い立ちや生き様を赤裸々に語られた、「ゼロ」という本。

 

本日は堀江貴文さんについて書かせて頂きます。

ご存知の方が多いと思うので、ごく簡単に堀江さんの表舞台(?)でのご活躍の様子を書かせて頂くと。

・大学在学中の1996年、IT企業:オン・ザ・エッジを創業(その後、ライブドア)、2000年にマザーズに上場。

・その後、プロ野球球団:近鉄バッファローズ(当時)買収に名乗りを上げたり、ニッポン放送の筆頭株主となったり、衆議院選挙に広島(!)から出馬し落選、そして2006年に証券取引法違反の容疑で逮捕され、2年6ヶ月の実刑判決を受け刑務所に収監(1年9ヶ月で仮釈放)、

という波乱万丈の濃い人生を生きて来られました。

現在は、IT、宇宙関連など様々な事業を手がけ、時折マスコミにも登場されるなど、いろいろとご活躍のようですね。

私は以前より、堀江さんの独特の意見・コメントが面白く興味深く思っており、堀江さんが書かれた本も数冊読ませて頂いています。

そんな堀江さんが出された本の中で、私が最も印象に残っているのが、「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」です。

 

この本は、2013年10月、堀江さんが刑期を終了された直後に刊行されました。

この本は、次のような印象的な言葉から始まります(目次より前に書かれています)。

これまで僕は、精いっぱい突っぱって生きてきた。弱みを見せたら負けだと思い、たくさんの敵をつくってきた。

自分でもわかっている、どこまでも不器用な生き方だ。

そして僕は逮捕され、すべてを失った。

いま僕の心の中はとても静かだ。

久しぶりに経験するゼロの自分は、意外なほどにすがすがしい。

もう飾る必要はないし、誰かと戦う必要もない。

いまなら語れる気がする、ありのままの堀江貴文を。

それは僕にとっての、あらたな第一歩なのだ。

そこには、収監される前のド派手な社会生活から、文字通りゼロとなった堀江さんの新たな一歩を踏み出す静かなる心境が語られているように思えます。

そして本文では、それまで語られることのなかった堀江さんの生い立ち、父母との関係、学生生活などが赤裸々に語られています。

そこには収監前のクールで強気一辺倒の堀江さんではなく、(本人も認めている通り、)無類の寂しがり屋であり、コンピュータはじめ興味を持ったことにとことんハマる生身の堀江さんの姿がうつし出されています。

さらに本書の後半では、そんな堀江さんの仕事に対する価値観などが中心に書かれているわけですが、

本記事では、本の中の印象深い言葉について少々ピックアップしてみたいと思います。

やりがいとは「見つける」ものではなく自らの手で「つくる」ものだ。

能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことなのだ。

・人はなにかに「没頭」することができたとき、その対象を好きになることができる。

・心の中に「好き」の感情が芽生えてくる前には、必ず「没頭」という忘我がある。

ここでは、とにかく興味を覚えたことにハマってみる、ハマっているうちにこの上なく大好きになって行く、ということを言われています。

あることに興味を持つ⇒没頭する⇒心より好きになる

というプロセスがあるのではないかと言うことです。

 

さらには。

・どうすれば、没頭できるのか?

僕の経験から言えるのは「自分の手でルールをつくること」である。

これはまさに、能動的に自分で取り組むことの大切さを示していますね。

これら文言は、本書のサブタイトルにあるように、堀江さんが元々何もないゼロの状態から小さなイチを重ねていくプロセスそのものであり、自信をつけていったプロセスそのものなのだと思います。

 

そして。

こちらこそが、私が一番印象に残った言葉です。

それは。

堀江さんは小学校1年生の秋以来、いつか死んでしまう、という恐怖にとらわれてきました。

物事にハマり込むことで、その思いを忘れていた。

なにかに没入することで死を遠ざける。死について考える時間を、可能な限り減らしていく。

僕は死を忘れるために働き、死を忘れるために全力疾走し、死を打ち消すために生を充実させてきた。

実は。

堀江さんがこの本の主題ともいえる「働く」ことを強調されているのは、この「死の恐怖」を遠ざけるためでもあったのですね。

これは哲学などでも主題として扱われている重い問いですね。

堀江さんは、再生医療や生命工学の本を読み漁ることで、一応、不老不死に近い状況を実現できるのではないかという結論を得ている、と書かれてはいます。

が、後年、年を重ねられていくと、この問いが再び蘇ってくるような気がしないでもないですね。今は、死という現実に向き合うのでなく、遠ざけているという状態なので。。。高齢となられた時には、また違った感覚になられるのではないでしょうか。

数十年経って老年と言われる年になった頃、この辺りの問いについて、堀江さんが再びどのような考察をされるか注目してみたいな、とも思いました。

 

 

 

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