モノではなく、内面を重視する〈真実の人〉族 -「ミュータント・メッセージ」より-
さて今回より、ミュータントメッセージにある
深遠なお話についてシェアさせて頂きます。
その前に一点、この本のタイトルの一部「ミュータント」について。
アボリジニの方ではなく、我々現代人がミュータントなのです!
自然と共生し、自然を尊重し、自然に溶け込んでいるアボリジニ〈真実の人〉族
にとっては、我々現代人こそが、不自然な存在であり異邦人だということです。
さて、話を戻します。
数多くある印象的なお話のうち、幾つかを書かせて頂きます。
引用文形式をとっていますが、少々意訳的な表現です。
彼らは、物自体(所有)ではなく、
楽しかった感情を残すことに価値を見出す。
物が恐怖を生む。物を持てば持つほど恐怖はつのる。
ついには物のために生きることになる。
マルロが所有物を全部焼却されたように、<真実の人>族はほぼ、
モノを所有していません。厳密に言えば、部族の歴史などを
記録するために、部族共有の場所・モノは持っている様なのですが、
それでも、ほとんど自分の所有物は無いのです。
普段は水袋と着衣(ほとんど布きれ)程度です。
最近、断捨離が流行っていますが、分かるような気がします。
愛着のあるモノや、いつか使う可能性があるモノを捨てたり、
そして何よりもモノを捨てる行為そのものが辛いですが、
確かに最小限のモノだけで生きていくことは痛快だろうと思います。
私自身、以前は、欲しくなったら直感的にモノを購入する性質でしたが、
最近、モノの購入前に、できるだけ熟考して購入するようにしています。
それでも増えてしまうのが困りものですが・・・
さて、次の言葉です。
〈真実の人〉族は、誕生日=歳をとることを祝いません。
歳をとることは特別なことではなく、
何もしなくても自然に歳をとっていくからです。
そうではなく、自分自身が何か「良くなること」、
さらに賢くて良い人間になったら、それを祝います。
そして何と、自分から「パーティーの時期が来た」と
みんなに告げ、パーティーをおこなうようです。
自らがパーティー開催を告げることに不思議な感じがします。
これは、「良くなること」が主に自身の内面的な成長だから、
自分が一番良くわかっているからです。
現代社会では、ここで取り上げられている誕生日はじめ、
ほぼ毎日、何らかの記念日が定められていますね。
多分に、マーケティング戦略的なものを感じますが、
確かに、成長することを記念日とすることの方が心より喜べるように思います。
怒りや失望、自己憐憫や恐怖を感じるとき、
人は生きていない。生きていない時間を過ごしている。
呼吸をしているからといって生きているとは限らない。
魂が人の形をとったとき、人は幸せや悲しみ、感謝や
嫉妬がどんな感情なのか知るように定められる。
だが、その経験を生かして、どの感情がつらいとか、
どれが楽しいか学ばなければならない。
感情に溺れることなく、「感情を楽しむ」。
感情が自分自身(真の自分)ではなく、自分自身が感情を楽しむ。
まさにその通りですね。
内面に向かい、精神的なものを重要視する<真実の人>族の
言葉については、次回も続きます。