密教の話題の続きです。行の核心となる【三密加持】は、奥深い非物質の世界にアクセスする強力な手法です。
先日に続き、密教のお話をさせて頂きます。
参考の本は、その名もずばり、「密教」です。
この本では、
「行」についても、可能な限り言及されている点も素晴らしいと思います。
密教の行は、言語化が難しかったり、
指導者に付いて行わなければならない面も多々あるわけですが、
そのような制約の範囲内で、しっかりと書かれていると思います。
自身の体験も踏まえながら、書ける範囲で言及してみます。
密教の目的は、即身成仏、つまり現世で悟りを得て、仏になることです。
そのために様々な修業形態が準備されているわけですが、
基本中の基本として、三密加持という強力な方法があります。
具体的には、
身体的には「印」を結ぶこと、口では「真言」を唱えること、
心では「三摩地」ということですが、
特に心の面が分かりにくいかもしれませんね。
「三摩地」については「心を集中させて観想する」こととも言えますが、
「心」というよりは「意識・視覚」と捉えて、
「意識的・視覚的にしっかりとイメージすること」とした方が良いでしょうね。
身体、口、意識・視覚の3感覚を同時に制御することで、
行の妨げとなる外界から、普段の想念に溢れた自身を遮断し、
強力に集中・三昧できるわけです。
ちなみに「観想」とは。
特定の対象に向けて心を集中し、その姿や性質を観察することです。
(gooの辞書ページより)
繰り返しとなるかも知れませんが、
行の中でも、要諦というか、大切なのは、
いかにありありと観想できるか、
ありていな表現を使えば、いかにうまくイメージができるか、
ということだと思います。
では、何を観想するのか?
まあ、これ以上は書かないことにしましょう。
書籍や実地で体験した方が良いでしょうね。
かなり乱暴にまとめました。
全てを表してはいません。
象徴的、特徴的な部分だけのお話です。
最後に。
いわゆる、奥深い領域に入っていくために、
イメージング、観想という手段を講じることが
伝統的・歴史的にも有力な手段なのだな、と分かりますね。
手前味噌ですが、ヘミシンクにおいても、
- どちらかというとユングのイメージング法に近いですが -
非物質の世界にアクセスする入口・取り掛かりとして、イメージングを用います。
案外、伝統的にも歴史的にも有力な手段を用いているのです。