世界遺産になる前に萩へ行こう(3)! -萩の生んだ偉人 吉田松陰-

 

 

先日まで、世界遺産にも登録勧告された萩の街の紹介をしてきました。

 

さて、萩の最初の訪問地であった「松下村塾」について。

隣接する松陰神社宝物殿「至誠館」訪問によって

かなり詳しく史実を知ることができますが、

さらに吉田松陰に関する書物によって

さらに詳しく学ぶことができると思います。

 

まずは、「吉田松陰 留魂録」です。

留魂録とは、吉田松陰が処刑される直前に、近親者に対して宛てて

2日間で書き上げた遺書のような位置付けの書ですね。

冒頭の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂」

あまりに有名です。そして、全16章、5000文字程度の文章の中に、

松陰の死生観などがしっかりと書かれています。

原文と現代語訳が対になって書いてあり、スムーズに読み進められる

のではないかと思います。

 

さて、松陰の留魂録自体は5000文字なので、本の前半で終了します。

そして、後半部分には、付録(?)として吉田松陰の史伝が記載されて

おり、こちらの出来がかなり良いと思います。

例えば、私の場合、宝物殿で資料を拝見して、「松陰は何故もこんなに

急に尊王思想に傾いたのか」ということを十分に理解できなかったので

すが、この本にあたることで、理解が進んだと思います。

今まで、僧の黙霖との交流、その内容などは知りませんでしたし。

(もちろん、僧の黙霖との交流だけが原因ではないです。環境要因など

 様々な原因があります。)

 

さらには、吉田松陰と取り巻く人々を、学問、塾という視点で書かれたのが

上記の本と同じ著者による松下村塾という本です。

 

松下村塾に関する記述のうち、印象に残っているのは次の点です。

・塾生は、萩城下と隣接する松本村の若者たちだけが集まった。(P.3)

・来るものは拒まず、去る者は追わず、という塾であった。(P.42)

・松下村塾は、全国を行脚した松陰の旅行談を聞き、詩を詠みあう

 「青年宿」でもあった(P.60)。

・松陰は、終日ほとんど塾舎で過ごしたので、寄宿生に限らず、

 塾生と起居を共にしたことになる。(P.64)

・松下村塾の学習は、講義、会読、対読(個人教授的な事)、

 対策(作文指導)などである。(P.98)

・書を読んで、自分が感じたことなどは抄録(抜き書き)しておく。

 それを繰り返していると以前の愚に気付く。それは知識が上達した

 しるしである。(P.150)

・書を読む者は、その精力のなかばを筆記に費やすべし。

 およそ読書は一時に通暁し記憶することを望んではいけない。(P.150)

 

やはり、松下村塾の成果の秘密の一つは、近隣から来る生徒たちである

にも関わらず「先生(松陰)と生徒が起居を共にし、濃密な関係を築く」

という点でしょうか。これにより生徒の性格をかなり細かく把握し、細かな

指導ができたと思えます。また、松陰自身も青年であり、青年同士、熱く

語り合うことで士気を高めていった、という点も見逃せないと思います。

 

また、学習の際、抄録が大切である、という点も大いに同意できます。

記憶力は関係ない。それどころか、記憶力がある人ほど、1度本を読んだら

理解した気になってしまう。1種類の本を何度も読んだり、類書を読み、

しっかりと抄録を取ったり、所感を書き込むことで、その本を自身の血肉

としていく、ということも書いてあります。抄録を書くことは、膨大な時間

がかかります。けれども、それでも抄録を取ることを強調している点に、

大いに頷きました。

かなり面倒ですが、私も、抄録を心がけていきたいと思います。

(このブログが、抄録となっているという話もありますが・・)

 

 

吉田松陰の晩年の過激な行動については若干疑問の残る点もありますが、

学問、教育という点で燦然と輝く実績を残したことは間違いないと思い

ます。萩に行かれても、行かれなくても、興味を持たれた方は、松陰に

ついての本を読破されるのはいかがでしょうか。

 

【お知らせ】

世界遺産、萩についての記事は、こちらにもあります。

よろしければご覧ください。

 

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