2019年3月24日 / 最終更新日時 : 2019年3月24日 Yoichi 不要な信念を手放す 【仏教の五蘊】は、「私は肉体を超える存在である」との教えとも言えますね。 ブッダは、私たち人間は色・受・想・行・識の5つの要素が仮に集まったもので、それらは実体ではないと説きました。 ※それでは、5つの要素を引き寄せる”元=実体”は何なのか?との問いはあります。ブッダは、”元”の存在については […]
2019年3月23日 / 最終更新日時 : 2019年3月21日 Yoichi 不要な信念を手放す 【無、境界、善悪の判断】に関する荘子のことばをかみしめる 荘子のことばです。 その英智に最高にゆきついた境地があった。 どこか。 もともと物などはないと考える(無の)立場である。至高であり完全であって、それ以上のことはない。 その次の境地は、物があるとは考えるが、そこに境界を設 […]
2019年3月22日 / 最終更新日時 : 2019年3月21日 Yoichi 不要な信念を手放す 「今、ここが聖地」かみしめたい老子のことば 老子のことばです。 部屋から出ていかなくても世の中のことは分かり、窓から外を見なくても天の理法は見てとれる。 遠くに行けば行くほど、道のことはますます分からなくなる。 そういうわけで聖人は、どこにも行かないで分かり、なに […]
2019年3月21日 / 最終更新日時 : 2019年3月21日 Yoichi 統合的なアプローチ 荘子も語っている、ブッダの教え的な境地【坐忘】 荘子は、「坐忘」という有名なことばを残しています。 坐忘とは、 手足や体の存在をうち忘れ、耳や目のはたらきをうち消し、この肉体から離れ心の知を追いやって、あの大きくゆきわたる自然の働きと一つになる。それが坐忘ということで […]
2019年3月20日 / 最終更新日時 : 2019年3月18日 Yoichi 不要な信念を手放す 溜め込むことの弊害を語る-老子のことば- 老子のことばです。 盈(み)ち足りた状態を失わぬように保ち続けるのは、やめておいた方がよい。 刃物を鍛えて鋭くするのは、長く切れ味を保てない。 金銀財宝が部屋いっぱいにあるのは、守り続けることができない。 富貴で驕慢なら […]