池上彰さんが仏教を分かりやすく解説した! -池上彰と考える、仏教って何ですか?-
池上彰氏は、政治・経済系のジャーナリストと思われ勝ちですが、宗教に関する本も多々執筆されています。
今回はそんな中の一冊「池上彰と考える、仏教って何ですか?」をご紹介します。
池上さんらしく、この本は、冒頭から仏教の概要を分かりやすく簡潔に説明されていますね。
仏教の起源、釈尊の生涯、諸行無常・一切皆苦などの基本的な教義、日本に広がった大乗仏教において導入時・鎌倉仏教・現在に至るまでの状況を、簡潔かつ分かりやすく説明されています。
そして後半(第2章)は、チベットの高僧:タムトク・リンポチェとダライラマ14世との対談が掲載されています。
池上さん曰く、
日本の仏教は死者を弔うことに特化しすぎました。
ダライラマ法王がおっしゃっていますが、私たちが仏教との接点を見いだせなくなったために、その真価が伝わっていないのです。
この辺りの問題意識から、第2章すべてをチベット高僧との対談に割かれているのでしょうね。
それから、本書の中で最も印象に残った点を一つだけ挙げさせて頂きます。
曰く、
ブッダ自身、涅槃の境地に至り、悟りを開いた後も気をつけていました。
たとえばブッダは、一ヵ所に長くとどまることなく、一生旅を続けました。
すでに煩悩の姿を見極めたブッダでさえ、油断するとまた、からめとられてしまう。
煩悩というのは、それほど人間にとって根源的なものなのです。
原始仏典の中では、一旦悟りを得た覚者は、もう二度と煩悩に煩わされることはない、との記述が随所に見られます。
一方で、「悟った後に気をつけないといけない」ことについて言及されている本も見受けられます。
仏典には「悪魔が釈尊の元に来てささやく」との記述がしばしば見られますが、これは、たとえ覚者でさえも常に様々な苦に接触することの象徴的な表現だと思います。
どうなのでしょうね。
一旦悟りを得た後、再び煩悩に絡め取られることがあるのか、もう煩わされることはないのか、、、池上さんは絡めとられる可能性があると書かれていますが、私にはよく分かりません。現時点では。
まあ、そんな感じなのですが・・・
「池上彰と考える、仏教って何ですか?」、分かりやすくて良い本だと思います。