会社を辞めて4年目くらいから実感できるようになったこと -「~である」感覚-

 

会社を辞め、自営・自給的な生活に移行して5年が過ぎました。

ようやく、ですが会社員時代の「時間に追われまくる生活」から脱却し、ある程度「ゆとりをもった生活」を実現しつつあります。

 

具体的には。

「~である」という状態を実感できるようになりました。

 

常時、ではありませんが。。。

 

私たちは社会生活などにおいて、いつも未来を見つめ「~になろう」「達成しよう」という生活をしています。あるいは、過去を反芻・後悔しながら生きています。

すなわち、「今」この状態を生き切れていない、「今」を楽しみ切れていない、「今」に没頭し切れない生活をしているなぁ、というのが実感でした。

他の記事でも書かせて頂いたのですが、生存競争が基本となる現代社会では、特に未来を志向して活動することが当然の前提となっています。

自己改革して、より良い、より大きい自身を目指す、成長することが是とされています。

よく分かります。長い間会社にいましたから。

しかし。

この、成長志向が自身の全て(=同一化)となってしまうと、いつも何かに急き立てられる様な落ち着かない状況が常態化してしまうように思えます。

それが自身のすべてではなく、ゲームのような感覚で、楽しみとして扱えない限りは。。。

 

さて、冒頭に書かせて頂いた「~である」という感覚は、小学校、中学校の頃、夢中で遊んでいた頃の感覚です。小学校くらいから計画的に生きることを躾けられて、徐々に失われていった感覚です。

今のゆとりを持った生活に移行したことで、久々に、ただ「今ここで」「没頭する」「~である」生活をかみしめられていることを思い起こせたような気がします。

スピードを緩めることが大切なことを実感します。

 

この感覚は、一般社会で生きる感覚とは、ある意味、相反するものです。

そして、長年染み込んだ「~になる」価値観・感覚は、たかだか4,5年では完全には抜けません。

私自身、「~である」状態を実感するようになったとは言え、日常生活では、未来を見つめ「~になる」意識状態が占める割合が多いです。

 

それでも。

常態ではないとはいえ、「~である」感覚が日常生活にあるということは、自分自身が自分自身に接地している感覚、静かなる喜びの感覚、内面的な意識を見つめられている感覚でもあり、かけがえのない感覚です。

この感覚を大切にしたいなぁ、忘れないようにしたいなぁ、と実感しています。

 

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