無宗教と言うけれど・・実は日本人は神社(神様)もお寺(仏様)も大好きなことが分かります。-なぜ日本人は神社にもお寺にも行くのか-

 

先日のヘミシンク練習会の際、ふとしたきっかけで「神社とお寺の話題」となりました。

一般的には、神社は神様を祀るところであり鳥居があったりします。また、お寺はお坊さんが住む、または修行するところで、仏像や建築物があるところ、といった認識かな、と思います。

ところが、よ~く想い起こしてみると、近くのお寺には敷地内に神社がありますし、初詣においては神社に行く人もいればお寺に行く人もいます。

どういう状況なのかな、と興味を持ち、関連の書を読んでみることにしました。

そんな中、今回ご紹介する本なぜ日本人は神社にもお寺にも行くのかは、歴史的にみて日本人が神社、お寺とどのように接してきたのか、がよく分かる書です。

 

簡単にまとめてみます。

神社とは神を祀るところであり、「神道」という日本土着の宗教の場です。

一方、お寺とは「仏教」の場であり、基本的には、僧侶がブッダの教えを学び修行するための場です。

 

インドで生まれた仏教は、6世紀ころ、中国、朝鮮を経由して日本にもたらされましたが、当初は、仏教が神道の信仰を脅かすのではないか、との懸念がありました。

が、次第に受け入れられていったようです(仏教受入れ派の蘇我氏と、反対派の物部氏との間で対立があった、などとも言われていますが、史実かどうかはっきりしないそうです)。

著者曰く、仏教が持つ体系的な思想性が受け入れられたのではないか、との事です。

 

仏教は、当時の都であった近畿地方、とくに奈良において花開いていきました。

そして、 ―― ここが特徴的なのですが、 ―― 日本においては、神道と仏教は次第に習合していきます。

教科書でもお馴染みの本地垂迹説(仏教の「仏」が、神道の神「垂迹神」として現れた、との考え方)の理論とおり、どの神社の神様にも本地仏が定められるようになったそうです。

そして、奈良の春日大社と興福寺の関係に見られるように、神社とお寺は深い関係性を持つようになります(神仏習合)

 

そのような期間が長く続きました。

ただ、日本の多神教という土壌のせいでしょうか、神社とお寺が物理的に一つに統合されることはなく、隣接しながらも別々の場として存在し続けました。

※これだけ神仏習合したにも関わらず、なぜ神社とお寺が統合されなかったのかは、未だ私にはよくわかりません。

 

そして、明治維新をむかえたとき、国家的な思惑により、神仏判然令(神社から仏教的な要素を排除すること)が出され、神社は国家と結びつきを持った公的なものと位置づけられることになりました。

現在のように、神社とお寺は基本的に「独立した場」となりました。

また、追って政府から出された「上知令(神社やお寺が所有していた土地を召し上げること)」により、神社、お寺とも経済基盤を奪われることとなったのですが、国家的な保護があった神社はともかく、お寺の方は大きな打撃を受けました。

これに加え、(政府が意図したことではなかったようですが、)全国的な廃仏毀釈(神社にあった仏像、建物を壊すこと)の運動が展開されたこともあり、お寺にはさらなる打撃が加えられました。

現在名だたるお寺さえも、明治~大正には大変な苦境に立たされたようです。

寺請制の廃止により檀家が増えなくもなりました。

 

そして。

第二次世界大戦後、国家と神道は分離されましたが・・・

戦後の高度経済成長により、さらに状況が変わっていきます。

すなわち、衰退を余儀なくされたお寺は、観光ブームにより息を吹き返したところがあったり、

逆に寺請け制度が無くなり、そして田舎から都会への人口移動により(新しく移動した人々は檀家にならないことも多い)、お寺の檀家は減少し続けている、という状況です。

 

現在の私たちは、主に生まれてから亡くなるまでは神道のお世話になり(七五三、結婚式、厄払いなど)、亡くなった後は仏教のお世話になる(葬式、法事など)といった住み分けで、神社にもお寺にも関わり続けています。

とは言え。

一神教のように、一つの宗教に入信していないので、自分は無宗教だと考える日本人が多いのでしょうかね。

でも、上述のような人生の節目の行事では宗教のお世話になっているし、悪いことをしたり考えたりしたらバチが当たるような気がするなど、

私たちの中には宗教的な生活や意識がしっかりと根付いていますので、一定の距離を取りながらも私たちは、宗教と関わっていると言える気がします。

そして神社、お寺が、長い期間「習合」していたがゆえにか? 私たちは結構無頓着に神社、お寺の区別が曖昧なまま、例えば初詣に出掛けたりもします。

「自然」のなかの多様なものを「聖なるもの」として扱ってきて、八百万の神を祀る私たち日本人は、多様な教え、風習などを柔軟に取り入れてきたんだなぁと実感した次第です。

本書なぜ日本人は神社にもお寺にも行くのかは、神社、お寺の伝来、習合、独立といった歴史的な経緯を俯瞰させてくれる書だと思います。

参考になりました。

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