「今、ここが聖地」かみしめたい老子のことば
老子のことばです。
部屋から出ていかなくても世の中のことは分かり、窓から外を見なくても天の理法は見てとれる。
遠くに行けば行くほど、道のことはますます分からなくなる。
そういうわけで聖人は、どこにも行かないで分かり、なにも見ないで明らかであり、なにもしないで成しとげる。
老子
現代に生きる私たちは、世界の隅々まで容易に移動できるようになり、世界中の情報にも容易にアクセスできるようになりました。
「何か面白そうなことがある。行ってみよう!」とか、「これだけいろんな面白そうなことが溢れている現在、自身にとって未知なこと、自身の世界や意識を広げ深めてくれることが多々あるはずだ」と考えるのは当たり前だし、ワクワクするし、面白そうだと思います。
ただ。
そういった外部的な面白いことばかりに終始するのではなく、
内面的な世界、すなわち外に出なくても探究できる意識の世界にも気づいてみれば、そこには深くて探究し甲斐のある世界が広がっている、とも言えるのではないでしょうか。
現代社会は、老荘の生きた時代とはまったく違った、刺激に満ち溢れた社会です。
そういった世界を探究することで、これまでに知られてきたこととは違った世界が広がっていく可能性も多々あると思います。
けれども。
今ここに在る「内面世界」に目を向けることも、こんな現代でも普遍的で大切なことだと語ってくれているように、私には思えます。
要は、内外のバランスをとること、もっと言えば、現代ならば「内面世界に目を向けること」に専心するくらいで丁度、内外のバランスが取れるような気がします。