原始仏典の中では異色の「処世術」的な教え【善生経】 《原始仏教・原始仏典について》
原始仏教の大部分は、仏教の目的である解脱、涅槃に至る道について語られています。
一方、少しですが、在家者に向けた処世術的な、世俗倫理を説くような経もあります。
その典型的な経は「シンガーラへの教え-善生経」です。
テーラワーダ仏教の国々では、古来より現在に至るまで実生活の指針を述べた経として重んじられているようです。
本経は、資産家の子シンガーラに向けてブッダが教示したものです。親の遺言通り、六つの方角に向けて礼拝をしていたシンガーラに向けてブッダが、正しい方法について教示します。
それは、十四の罪悪から離脱し、六つの方角を護る方法です。述べられているのは、儀式ではなく、戒のようなものですね。
まず、捨てられるべき行為の汚れとして、「生き物を殺すこと」「与えられないものを取ること」「欲望に関する邪な行い」「虚言」が挙げられます。
そして、「貪欲」「怒り」「迷い」「恐怖」により、人は非道を行う、と諭されるのです。
また、財を散ずるので近づいてはならないものとして、「酒類などの怠惰の原因に熱中すること」「時ならぬのに街路を遊歩するのに熱中すること(遊び回ることだと思います)」「祭礼・舞踏など見せものの集会に熱中すること」「賭博に熱中すること」「悪友に熱中すること」「怠惰にふけること」が、その詳細とともに語られるのです。
う~ん、現代の私たちは、この教えに真っ向から反対の行為をしていますね。お金が足りなくなるわけだ・・・
さらに後半部分では、幸福と破滅について、悪友と親友について、親・子・師・弟子・夫・妻などのあり方についても語られます。
その中でも印象的で、経の多くの部分を占める「悪友と親友」について抜粋してご紹介すると、まず、
「何ものでも取っていく人」「ことばだけの人」「甘言を語る人」「遊蕩の仲間」は、友に似たものにすぎないため、避けるように言われます。
ちなみにこの4つの「友に似たもの」にも具体例が示してあり、例えば、「何ものでも取っていく人」ならば、
「何でも品物を選ばずに取っていく」「僅かの物を与えて多くの物を得ようと願う」「ただ恐怖のために義務をなす」「自分の利益のみを追求する」とあります。
その通りですね。
一方、「助けてくれる友」「苦しいときも楽しいときも一様に友である人」「ためを思って話してくれる友」「同情してくれる友」は親友であると知るべきである、とも言われます。
こちらについては補足しなくても良さそうですね。まさにその通りだと思います。
いかがでしょうか?
内容は極めてシンプルです。
シンプルで、2000年以上を経た現代でも十分通用する内容だと思いませんか?
繰り返しとなりますが、私には、財を散ずる内容に関して現代人は、望ましくない方向へ発展してきたなぁというのが印象的でした。また、これ以外の日常の生活指針に関して、あ~だめだこりゃ、できていないな~と思ったり、ドキッとする内容も結構あったように思います。
本経は、中村元氏の原始仏典において14ページほどであり、分量的には少なめです。
そのようなシンプルな内容でありながらも普遍的な教えが語られており、日常生活の指針として、今も十分に有用なものではないかと感じます。
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