2分法ではなく「程々であること」「中庸であること」「バランスが取れたこと」の大切さを実感しています。
2分法という価値観
現代社会は、YesかNoかのどちらかを答える:2分法的な価値観に満ち溢れています。
テレビ番組、インターネットなどを見ても、「○○という意見に賛成の人/反対の人は?」とか、「△△は良いか/悪いか?」などのアンケートや番組で溢れ、会社でも「YesかNoか?」「やるか、やらないのか?」などと言われるようなシチュエーションが多いような気がします。
情報に溢れ、多様なメディアに囲まれ、常に時間が不足し効率化を求められている昨今、効率的に必要な情報にアクセスし次々と結論を下していくことが「時代の要請」であることは確かです。
けれども。
この「2分法的な思考」や、「何でも評価し、選別し、判断すること」こそ、悩みを生み出し混乱を生み出す大きな要因の一つではないでしょうか。
この世の中には、100%正しい/100%間違っているということは、ほぼありません。
どのような物事にも両面性があり、グラデーション(濃淡)があります。
例えは良くないかも知れませんが、「盗人にも三分の理」という言葉があります。
一般に「100%悪」と言われても仕方ない盗人にも「三分」も理がある、と教えられているのですよ。普段の生活の普通の出来事をイチかゼロかで分けることの危険性が示唆されていますね。
また、心理学分野の認知行動療法でも、2分法的な考え方が好ましくない状況を生むことがあると考えられており、2分法的な考え方こそ改善の対象とされています。
我々は日常において、知らず知らずのうちに2分法的な価値観の中で生きています。
これだけ2分法的な思考法が溢れていると、2分法的な考え方こそが当たり前、自明だと思い込んでしまいます。
まずは事実を知ることから
が、まずは我々は2分法的な思考に陥り勝ちだという事実、極端な方向に偏ることで他方を否定したり攻撃しがちだという事実を知ることが大切だと思います。
何事も極端を避け「程々を良し」とすること、100%にこだわるのではなく「できた部分に着目し、良しとすると楽」なのではないでしょうか。
上述の2分法的思考は、ある意味、自動的・瞬間的に為されるものであり、その瞬間瞬間に気づくことはなかなかに難しいことかも知れません。
が、まずはこのこと(=2分法に陥り勝ちであること)を自覚すること、そしてこの自覚を自身の日常にしっかりと染み込ませる(=構造化すること、習慣化すること)が大切だと思います。
そのために、自身の生活を見直す時間を確保することから始めたら良いと考えていて、実践したいと日々思っています。
なかなかに大変なことですけどね。