【普通に満たされていることの素晴らしさ】を実感する時間を持つことって大切ですね!
マズローの欲求五段階説ってありますよね。
いわゆる「低次(でも、極めて重要です)」と呼ばれる欲求から順に示すと、次のようになります。
1.生理的欲求(食事、睡眠、排泄などの本能的欲求)
2.安全の欲求(危険から守られること、経済的安定、健康の維持等)
3.社会的欲求(社会のどこかに所属する)
4.承認の欲求(集団から尊重される)
5.自己実現の欲求(自分の持つ能力や可能性を発揮し自己実現する)
※補足:マズローは、晩年、第6段階として「自己超越」の段階があることを発表しました。それゆえマズローは、トランスパーソナル心理学の源流の人として捉えられています。一般には、5段階まで示されることが多いです。
この欲求5段階説に様々な批判があることは事実ですが、結構的を得ているからでしょうね。今もってよく目にします。
さて、この欲求5段階説を踏まえると、社会に出てバリバリに働いている人は、3までを満たしつつ4,5(承認、自己実現)あたりを求めて働いている、と言えそうです。
しかし。
そのような人々でさえ、ひとたび安全や生理的欲求が阻害されるようなこと、
例えば、病気などの事態に陥ると、健康の有り難さを痛感し、健康という土台がしっかりしていることは実はすごいことで、普通に健康で生活できていることは本当に有り難いことであるという、
極めて当然だけれども、忘れられ勝ちなことを思い起こさせてくれます。
重い病気などだと、生きていられれば地位や名誉はどうでも良いとさえ思いますね・・・基本的な欲求が満たされていることの偉大さ、大切さ、有り難さを実感するのです。
そして。
生理的欲求が満足されないときにはそのようなことを痛感しても、いざ健康が回復し社会生活を行っていると、その大切なことを忘れてしまいます。
普段、当たり前・普通に満たされていることの素晴らしさを忘れてしまうのです。
普通に満たされていることの素晴らしさを振り返る。
人間が本当に変容するには、大病をする、収監されるなどの大転機が必要であるという話を聞いたことがあります。
けれども。
そんな大きな転機でなくても。
例えば、大病ではなく、ちょっと健康が脅かされたときでも、改めて健康の大切さを振り返ることができます。
健康という土台が保たれていることが、実はすごいことだなぁと知り、普通に生きていることの素晴らしさを実感できます。
そして、この、原点・初心・当たり前(普通に生きていること、存在していることの素晴らしさ)を日々思い起こし、常に意識しながら生きていく良い機会としていけばよいのではないでしょうか。
このことは、健康に限らず、安全が脅かされる場合でも、経済的なトラブルの場合でも言えることですね。
普通に安全で、お金のトラブルがないことの素晴らしさを忘れず実感しながら生きていきたいものですね。
毎日、ひと時でも原点・初心(健康で生きて、存在できていることの有り難さ)を思い起こし、確認し、そのことを保ち続けたいと思う日々です。
そのためには、日々、地に足の着いた生活をしていきたいものだと思います。
振り返りができる時間を持つことは大切ですね。
先日、ちょっと怪我をして安静にしている時、ふとそのようなことを考えました。