人は「個性的」で「少数派」でいたいもの。でも、「理解不能」な存在ではイヤなもの。
これまで、数々の心理学研究が明らかにしてきたもの。
それは。
人は「その他大勢」と見られることに我慢できない、
ということです。
私たちは「個性的な存在、独自な存在でありたい」ということですね。
研究の実例をご紹介しましょう。
実験参加者に、小さな点をたくさん散りばめた数種類の画像を、数秒ずつコンピュータ上で見せます。そして、点の個数を推測してもらうのです。
実験参加者には、「多数派の人(80%くらい)が画面上の点の数を実際より多く答える、少数派の人(20%くらい)が実際よりも少なめに答える」という情報を伝えます。
そして、何と、参加者を回答の内容に関わらず、ランダムに半数ずつに分け、
一方のグループには回答した数が実際の数より少なめだった、もう一方のグループには実際の数より多めだったと伝えたのです。
すると。
多数派と言われた人たちは、大勢と十把一絡げにされたということで、自尊心をひどく傷つけられたというのです!
私たちは、「自分は他とは違う。個性的な存在だ」と思われたいのですね。
ただ、さらに。
この研究には、さらに興味深い話があります。
上記の実験を少し変更して、点の数を実際より多め推測する多数派と、少な目に推測する少数派にわけたことに加えて、「あまりにも異質なため、過大評価か過小評価なのか分類不能である」と告げるグループも設けました。
すると、「分類不能」と言われた人たちも大きく自尊心を低下させたのです!
面白いですね。
私たちが一番居心地が良いのは、「程良く個性的」な位置付けであり、他人から理解不能なほど、変わっていたくはないのです!
よ~く分かります。
私にも経験、思い当たるフシがあります。
世間でも、個性的と言われる人々をよく観察すると、それがある特定の個性的な集団=少数派に所属していることがよくありますよね。
まあ、ごく一部に分類不能と呼べそうな、超前衛的な方もいらっしゃいますけど。。。
要するに私たちは、「自分自身は、常にあらゆることをよく考え行動している独自な存在」だけど、他の人たちはそうじゃない「その他大勢だ」と考えているのでしょうね。
まずはこのような事実を知ることが大切で、
そのうえで日常でもゆとりを持って過ごすことで、他の方へも思いを馳せることができるのでしょうね。
シーナ・アイエンガー教授の「選択の科学」には、このような興味深いトピックスが多々紹介されています。
ご興味をお持ちになった方は、ぜひご一読してみられるのはいかがでしょうか?