タモリさんの若かりし頃 -赤塚不二夫さん宅への居候時の信じられないような【太っ腹】な話!-
タモリさんが芸能界デビューする直前のお話です。
福岡に面白い素人がいるということで、タモリさんは東京に呼び寄せられ、新宿のスナック「ジャックの豆の木」で毎夜芸を披露していたそうです。
タモリさんの芸に惚れ込んだ赤塚さんは、何とタモリさんにご自身のマンションを無償で貸し与えたと言います。1975年当時で月17万円(!)という高級マンションです。
しかも、小遣いをもらったり、赤塚氏所有の服やベンツに乗ったり、ついには福岡から奥さんを呼び寄せて夫婦で居候するという・・・
タモリさんには、
赤塚さんが俺を見込んだんだから。赤塚さんには自分の度量がそれだけあって、それなりに経済的にやっていけるんだから。なかったらやらなけりゃいい。
という居候道・居候哲学みたいなものがあり、居候の身ながら堂々としており、赤塚さんの方もいっさい恩に着せることは無かったと言いますから、何ともハチャメチャというか豪快な話だなぁ、と思われませんか?
そのようにずっと、お礼を言うまでもなく、恩を着せるでもなく過ごしてきた2人ですが、2008年、赤塚さんの告別式におけるタモリさんの弔辞によって、その真意が少しだけ明かされます。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは、肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいう時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかしいま、お礼を言わせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。
-「タモリと戦後ニッポン」より-
タモリさんは赤塚氏に、肉親以上の関係性を感じており、そんな仲であるがゆえ、お礼を言うことが何とも他人行儀でたまらなかったということです。
正直なところ、30歳くらいの成人になって、酒場のノリで出会った2人がそんなに深い関係性を結ぶということについて、私にはその空気感が正確には分かりません。いろいろと分析しても言葉足らずのように感じます・・・
ここで言えるのは。
弔辞の最後にタモリさんが「私も作品の1つです」と言われたことに、赤塚氏の深い無償の愛・包み込むような大きな度量を感じます。
警戒心、計算が先に立ってしまい勝ちな、私を含めた現代の社会・人々には失われかけた感覚なのかもしれません。
何とも豪快な時代、太っ腹な人々がいた時代だなぁ、と思いました。
最後に。
「タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)」という本には、この辺りのエピソードが満載で、面白く興味深く読めますよ!
☆タモリさんの様々なエピソードについて、ブログに書かせて頂いています。
記事の一覧はこちらです!
☆タモリさんについての記事をいろいろと書いています。
よろしければご覧ください!
・タモリさんの名言(1) 現代社会において何かに熱中すること
・タモリさんの名言(2) 今後の日本人の生き方についてのお話
・きっとタモリさんが好きになる! インタビューから読み解くタモリさん
・タモリさんによる、赤塚不二夫さんへの、深い哲学的な言葉