タモリさんの印象的なことば:「意味のないものが好き」って面白いですね!
久々に、タモリさんの印象的なことばについて書いてみたいと思います。
タモリさんは初期の頃、ハナモゲラ語とか4ヶ国語麻雀という芸を披露されていました。
そしてその後は、タモリのボキャブラ天国、タモリ倶楽部の空耳アワーなど、全く意味のない言葉をそれらしく話してみたり、ある洋楽の歌詞が日本語の全く違う意味に取れることを楽しむという、
ことばの意味・意図を読み取るのではなく、ことばを使って遊ぶような芸・番組が多くあります。
タモリさんは言います。
ことばの意味というのは、人間をものすごくがんじがらめにしているでしょう。愛が初めにあるんじゃなくて、「愛」という言葉が最初にあるのですよね。
ところが、言葉にからめとられていると、愛というものがあると固く信じて疑わないから、愛が失われたといって激しく落ち込んだりするわけでしょう。
だから言葉を、本来の機能である道具に戻して、道具箱をひっくり返して遊ぶように -”大人のおもちゃ”とぼくは言うんですけど、そういうようにして遊んだほうが衛生的なんじゃないかと。
-「タモリと戦後ニッポン」P.44から抜粋。一部表現を修正しています-
言葉の持つ意味 --共同幻想的に社会的に定義されたもの-- ゆえに、その言葉を使う人間ががんじがらめになる。人間が、道具に過ぎない「ことば」を使いこなせばいいのに、ことばの持つ「既成の意味」の方に支配されているということを言われています。
20世紀の現代思想の焦点の一つは、「言語」でした。言語が社会の構造にがっちりと組み込まれていることが明らかにされました。
タモリさんがそのことをご存じだったのかどうかは定かではありません、、、哲学科入学なので、どこかで触れられていたのではないかという気はします・・・
が、その感性には驚きます。
私は好きなのですが・・・タモリさんは初期の頃、やたらと某音楽の世界を茶化されていました。
そこにある「〇〇という音楽は、△△である」という重い意味付けを嫌われていたのかもしれません。
まさにそれは、がっちりと構造化された「枠組み」「意味」を象徴する一事例なのかも知れませんね。そしてタモリさんには、そのような枠組みへの反骨心があったのかもしれません。
一見、軽やかでたんたんと、飄々としたタモリさんの芸や番組には、そのような背景があったようです。
タモリさんのことなので、そういった意味付けを与えるのではなく、軽やかに茶化すという感覚なのでしょうけど。
面白いな、と感じましたのでご紹介させて頂きました。
最後に。
「タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)」という本には、この辺りのエピソードが満載で、面白く興味深く読めますよ!