「認知の歪み」を知ることは日常生活でも役立ちますよ! -心理学を体系的に学びましょう!-

今回は、認知行動療法のうち、第二世代にあたる「認知療法」でメインテーマとなる「認知の歪み」についてご紹介します。

まず、認知療法では、私たちの認知(=物事の捉え方、解釈)の過程を次のように考えます。

遭遇した出来事 → 私たちの認知 → 結果(気分など)

例えば、私たちは、日常で遭遇した出来事に対して、嫌な気持ちとなることがあります。

ただ、その時、私たちは、嫌な出来事が起きたために嫌な気持ちになる訳ではなく、認知の過程で各々が持っている「自動思考」「スキーマ(構造)」のために嫌な気持ちとなる、と考えるのです。

言い換えると「認知」の過程に様々な「歪み」、すなわち「考え方の癖・偏り」があり、それらが嫌な気分、様々なストレス・悩みを生み出していると考えるのです。

ヘミシンクにも、「起きていることは中立だけど、自身の持つ(主に過去の)感情・記憶などが絡まって、物事を嫌なものとして捉える」との考え方があります。同様に、認知の仕方こそが問題だということですね。

もちろん、理性のレベルで、頭だけで認知のしくみを知り、対応するのは難しい、根本的な解放にはつながらない、との意見もあろうかと思います。

が、認知のしくみを知り、自身を客観化、距離を取って見る、俯瞰することで、新たな歪みを生み出したりストレス・悩みを生み出す可能性が下がるのではないかと思います。

このしくみを知ることは有用だと考えます。

それでは、これら「認知の歪み」について具体的に書かせて頂きましょう。

・全か無か思考

白か黒か、どちらか極端の捉え方をすることです。

日常の出来事はアナログ的で、白と黒の中間にあります。

どちらかに2分することは分かりやすいし楽ですが・・ 常にこのような捉え方をすると、失敗即全然ダメ、につながるわけで、自己否定に繋がりかねない、ストレスのたまりやすい考え方なのです。

忙しい現代では、時間を短縮でき分かりやすい「全か無か思考」が重宝され、テレビ番組などでも頻繁に見かけますが、2分思考の危険性を良く知っておくことは大切です。

・自責思考(自己関連付け)

何か不都合なことが起きた時、実際に自分に責任が無いような場合でも自分に関連付けて捉え、自分が悪いと思ってしまうことです。

・破局化思考

根拠が無いのに、最悪な結果が起きると確信してしまうこと、悲観的な結論を導き出してしまうことです。

・情動的推論

現実的な証拠を無視して、その場の感情に強く影響された推論をすることである。

・べき思考

自身の枠組み・信念に合わせて「~すべきである、こうあるべきだ」と考えることです。

これはほとんど全ての人にある思考でしょうね。私にも多々あると思います。普段、我々は意識せず自分の枠組みでものをとらえており、枠から外れたものをなかなか許容できない、ということです。

・心のフィルター(選択的抽象化)

物事の全体を見ることができず、多くの要素の中からごく一部にフォーカスを当ててしまうことです。

全体的に素晴らしいパフォーマンスを上げているにも関わらず、悪い面だけにフォーカスを当ててしまう事などがあります。

・よい面の無視

物事には良い面と悪い面があるものですが、良い面を無視して、悪い面のみを重要なものだと考えてしまうことです。

・過度の一般化

たまたま起きた出来事や、少数のデータから、全てがそうであると一般化しすぎることです。「いつもこんな目に会う」など、あたかも自身の日常であるかのように捉えることです。

・拡大解釈/過小評価

小さな失敗・短所を大きくみなしたり、成功・長所を小さくみなすことなどです。

・レッテル貼り(ラベリング)

物事の多様な側面を単純化し、一つのレッテルを貼ってしまうことです。「自分は駄目だ」とネガティブなレッテルを貼ってしまうことなどが挙げられます。

これも多々ありますね。ネガティブなことに限らず、我々は日常で、他人、外部に対してレッテルを貼っています。

いかがでしょうか?

日常で何となく思っていても、こうして体系的にまとめると、なるほどと思いませんか?

上記全てが独立した内容というよりは、少しずつお互いが絡み合っていますが、これらが認知の歪みであると言われます。

次回は、認知療法的な立場からの対処方法についてご紹介させて頂きます。

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