【はじめてのインド哲学】 -「ブラフマン」と「アートマン」の多様な表現が参考となります!-
前回の記事では、「はじめてのインド哲学」という本を参照しながら、インド哲学の歴史が何と3000年に及ぶ、というお話をさせて頂きました。
このような長い歴史を持つインド哲学ですが、先述の通り、一貫した重要なテーマがあります。
それは。
自己と宇宙の同一性。
すなわち、
自己と宇宙が本質的に同一である、
と訴え続けてきたということです。
その基本思想は、
ブラフマンは、宇宙原理。
アートマンは、個人個人に宿る気息、生気、自我。
ということであり、
万物はブラフマンであり、ブラフマンはアートマンである、
です。
インド哲学のメインテーマになることから、この本では、随所にブラフマンとアートマンについて言及されているのですが、このブラフマンとアートマンに関する文言が素晴らしいです!
色々と表現を変えて語られているので、分かりやすいです。
例えば、次のように語られています。
・ブラフマンは、この世界の素材。
・ブラフマンは、世界を構成するかたちあるもの(質料因)であると同時に、世界という装置を動かす力(動力因)である。
・ブラフマンは、死後に生類、あるいはそれらのたましいが帰っていく場
(エネルギーの基体)。
・ブラフマンは、宇宙全体を貫く原理。
アートマンについても
・どのようなもの(アートマン)にも宇宙の力がみなぎっており、 その力がどのような小さなものの「自体」をも 「原理としてのアートマン」へとまったく容易にその価値を高める。
・どのようなものにも必ずアートマン(自体)は存在する。
・一つのものがまとまりある「閉じられたもの」として現れるならば、それは必ず「小さな全体」であり、そのようにそれは「アートマン」を持っている。
まさに、ホログラフィについて語っていますね。
・部分にも全体の要素を含む、
・部分を取り出しても、そこに全体性を見い出すことができる、
という世界です。
坂本さんも言われていたフラクタル(自己相似的)の世界、
と言っても良いかもしれません。
さらには次のような表現もあります。
意を本質とし、生気を本体とし、光明をそのかたちとし、(中略)一切万有を保持し、語なく、愛着なきもの、それが心臓の内部にあるわがアートマンで、その大きさは米粒よりも(中略)キビ粒の核よりも微細である、
しかもこの心臓の内部のわがアートマンは、大地より大きく、空よりも大きく、(中略)これらの諸世界の全体よりも大きく(中略)一切万有を保持し、語なく、愛着なきものである。
「心臓の内部にあるアートマン」という表現は誤解を招きやすいので、さて置き・・・こちらで書いてある内容は、量子力学を思い起こします。
すなわち、フィールド(場)のようであり、実体(粒)のような存在、これをアートマンと呼んでいるのでしょうね。
フィールド(場)の内に畳み込まれている、ということで、ブラフマンとも同一である、ということなのだろうと思います。
最新の物理学と、2000年以上前のウパニシャッドで語られている内容が同じであるという・・・
インド哲学をしっかり学ぶこと、すなわち未だ証明されていない真理を探ることができるのかも知れませんね。
もっともっと研究していきたいな、と思います。