【科学の限界】について知ることで、広い視野で見ることの大切さを学べました。

科学とは?

科学というものは、あることをいう場合に、それがほんとうかほんとうでないかということをいう学問である。

それが美しいとか、善いとか悪いとかいうことは、決していわないし、またいうこともできないものである。

いろいろな人が同じことを調べてみて、それがいつでも同じ結果になる場合には、それをほんとうというのである。

「科学の本質」とは、自然界にあるものの実態と、その間に存在している法則について、ほんとうの姿をきわめるところにある。自然を認識する第一歩といえば、それは観察である。

中谷宇吉郎「科学の方法」 より

この文章にあるとおり、科学とは基本的に「観察できるもの」を対象とし、「因果の法則性」を導き出す学問です。

きわめて乱暴に言ってみれば、それだけのもの、なのです。

科学そのものの世界で、倫理などの、芸術的なへの言及はあり得ません。範囲外なのです。

哲学者カントはその著作で、科学(=純粋理性:ここでは純粋理性と科学を同様と見なして良いと思います)では扱えない領域があることを示しています。

言うまでもなく、善、美の領域です。

それらは、実践理性などで扱われる、別の領域のものなのです。

にも関わらず、この現代社会では、科学が他領域をも支配し、科学ですべてを語り得る、科学で語り得ないものは似非であるとさえ、言われることがあります。

あまりにも社会通念から離れ過ぎていたリ、迷信的なモノまで同列に扱うことはできませんが・・・

私たちに共通経験がある「科学では語り得ないもの」については、無批判に肯定せよとはいいませんが、少なくとも否定したり、無視することはできないのではないでしょうか。

具体的な一例としては、本ホームページのメインテーマとなっている、様々な探究によって達し得る深い意識領域の世界が挙げられます。

「深い意識領域の探究」は、純粋理性的に説明し切れませんが、世界の多くで共通経験と共通理解があります。

既に多くの文献があり、多くの体験(および体験できる施設)があります。

仏教、インド哲学、老荘思想、深層心理学などに溢れんばかりの共通な見解があります。

繰り返しとなりますが、あまりに現世界とかけ離れた迷信的なもの、ぶっ飛びすぎたものはフィクションの世界として楽しめばよいと思いますが・・・

科学では語り得ないけれども、共通理解が存在し、否定し得ないものは存在すると思います。

※ただ、本稿を書いていて思ったのが。。。先進的なものは、ぶっ飛んでいるように感じられることもあるよな、ということです。とは言え、それらの世界はまさに玉石混交なので、より慎重に、既存の基準なども流用しながらのアプローチが大切だと思います。

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