【自己超越傾向】に潜む落とし穴について書かれた良書 -ホロン革命-

 

アーサー・ケストラー氏による「ホロン革命」という本があります。

この本では、ホロン(各メンバーは、上位のセンターに対し「部分」として従属しているが、同時に準自律的な「全体」としても機能する)という重要な概念や、

人類は爬虫類の脳、下等哺乳類の脳、後期哺乳類から発達した脳という3つの脳を持つ、矛盾に満ち溢れた構造で、時に悲劇をまき起こすことなどなど、重要な考え方や示唆に溢れた素晴らしい本です。

が、これら全体については、今日のブログでは触れず、本書でも紙面を割いて触れられている、ある1つのテーマについて書かせて頂きます。

それは。

タイトルにある「自己超越に潜む重大な落とし穴」についてです。

 

ケストラーは本書で、主に生物学や歴史を丹念に辿り、1つの見解を導きます。

曰く、私たち人類の苦悩の大きな原因は、私たちの持つ攻撃性というよりも、「狂信的な献身」にあると言います。

一見すると、私たちに悲劇をもたらすのは攻撃性ではないかな、と思ったりしますが、そうではないのです。

ご説明します。

先述のホロン的な構造で私たちの社会を見ると、2つの正反対の傾向があることが見て取れます。

一つは、大きな全体の一部として機能する統合化傾向であり、自己超越的な傾向です。

そしてもう一つは、独自の自律性を維持しようとする自己主張傾向です。

一つ目の自己超越傾向とは、自分(個人)より大きな何かに属し、自分の狭い領域を超えた、より包括的な全体の部分であろうとする傾向です。例えば、地域共同体に所属したり、ドグマを持つということです。

もう一つは、個人主義、野望、競争など、自己主張していく傾向です。

 

さて、歴史的に見て私たちが起こしてきた悲劇を振り返ると・・・

もちろん、個人の野望とか競争などに起因するものもありますが、大規模かつ凄惨なものは圧倒的に上述の「狂信的な献身」に起因するものです。

上位の者に同一化する、すなわち自己超越傾向ですね。

たとえ主義・主張が道理に反していても、個人の利益に反したり自己保存(生存)を危うくするものであっても、いわゆる大義に身を投じたり、その信条を無批判かつ熱狂的に受け入れてしまうことが悲劇に繋がってきた、ということなのです。

大義などと言うと「国家」など大きなものを想像しますし、実際に大規模な悲劇をまき起こすのは、国家的に同一化する傾向だろうとは思います。

 

とは言え、大規模な話は取りあえず置いておき、

ここではもう少し身近(?)で直近(?)のものとして今の社会でも、これと類似したことが普通に見られる、という点をご紹介してみます。

私の例です。

私は以前、会社員として組織内で働いていました。

その会社では、倫理面については、かなり頻繁に、何度も何度も従業員に対して語り掛けていたので、その点は自浄作用が十分に働いていたのですけど、、、

それでも、極めてトップ(部長級)の権力が強いタイプの組織に所属していた頃は、トップの価値観に、内心不満を抱きながらも組織同一化して行動していたように思います。

「何でこんなにも、役職者の権威に服従しなければいけないのかな?」

組織異動前は、ボトムアップ的な、役職者の権威がそれほど強くない組織に所属していた私は、時にこのような強烈な違和感を覚えました。

 

組織とは、メンバーの価値観やベクトルを合わせないと、協業の成果は出にくいかと思いますので、それは大切なことなのですが・・・

ややもするとトップの考えが望ましくない場合には、組織全体、会社全体がおかしな方向に進むのは簡単なことだと実感しました。

(ちなみに、上述の、私が所属していた組織がおかしな方向に進んだということではありませんよ。時におかしな判断があったということです。)

 

巷では、会社ぐるみ、いや会社以外の官公庁、学校などでも、社会的に不誠実な行為、時には犯罪的な行為が行われているのを耳にしますよね。

より大きなものへの同一化傾向って、とてつもなく強力なのだろうと思います。

 

さて、そんな状況を踏まえ、私たち個人って、どうすれば良いのか、私的に考えてみたのですが。。。

一つ目にはまず、このような事実、すなわち自己超越的な方向性、具体的には自分より大きなものへの同一化を無批判に行うことで、歴史的に数々の悲劇が起きてきたことを、よく肝に銘じておくことかと思います。

まずはその事実を知り、少し距離を置いて自身の振る舞いを眺められることが大切だということです。

二つ目は、私たち ――ここでは成員・部分という立場での私たち―― は、個々が自分自身の考えを持ち、自律性を持つこと、全体の利益の範囲内での自己主張を持つことが大切だと思います。

そのためには、日頃より多様な考え方・価値観に触れることが大切だと考えます。

そして三つ目は、その集団への影響を与える立場で考えてみて、上の立場になればなるほど、特に倫理観であるとか、身体性をもって日々スッタモンダして生きているという「現実感覚」をしっかりと保ち続けることが必要ではないかと思います。

多様な集団(複数の集団)に所属し、自身を脱中心化、相対化し続けることが大切だと感じます。

 

う~ん、もっといろいろとあるのでしょうけどね。

まずはこのような現状を踏まえることって大切だと思いましたので、シェアさせて頂きました。

 

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