若者に限らず、全世代にあり得る「実存の問い」がテーマではないでしょうか?-押見修造氏の漫画【惡の華】-

 

惡の華

 

ボードレールの詩集名が、この漫画のタイトルとなっています。

私はこの漫画のことを、イケダハヤトさんのブログを見て、たまたま知りました。

 

う~ん、なかなかに強烈なストーリーですね。

前半部分を少しだけご紹介すると。。。

中学生の主人公:春日高男は、ある日、たまたま放課後の教室に落ちていた、大好きな佐伯奈々子の体操着を盗ってしまいます。

そして、こともあろうにその場面を、教室でも浮いた存在の仲村佐和に見られてしまうのです。

佐和はこのことをネタに、高男に奴隷契約を結ばせて、次々と変態チックなことをさせていく・・・といった感じなのですが、

高男の行動を見ていられなくなって、一度は途中で読むのを止めてしまった程です。すぐ読み返しましたけど。

まあ、本漫画の後半(7~11巻)になってくると、高校以降の話となり、ガラッと雰囲気が変わってくるのですが・・・まあそこまでは書きません。

 

こういった作品って、人それぞれ、様々な感想・解釈があって良いと思いますけど、私が思ったのは。。。

中学生という「自我の目覚め」の時期にある「自分とは何だろう」という問いや、

「大人たち、同級生たちのように、ふつうに社会の規範・枠組みに組み込まれてしまいたくない」、けれども「今の自分自身を見つめると、何もない空っぽな存在に思えてしまう」「何かしたいのだけど、どうしてよいか分からない」といったあせり、虚無感、怒り、怖れなどが複雑に入り混じった不思議な感覚について、

これでもか!という程にしっかりと描けているなぁと感じました。

周りの大人って、本当の自分をごまかして生きている、何て汚いんだろう、というかつて私たちが感じてきたであろう感覚についても、描かれていますね。

ただ。

そんな時期を過ぎ、社会に出る頃になると、「自分で自分の食い扶持を稼ぐ必要が出てくる」という点が大きいのだろうと思うのですが、、、

ほとんどの人たちが社会の枠組みのなかへすすんで入って行き、何十年も経つとしがらみでがんじがらめになってしまう・・・

たしかにこの漫画では、思春期特有の感覚として「自分とは何者か?」すなわち「自我の目覚め、実存の問い」について描かれていますし、作者も「若者に読んでほしい」とのメッセージを書き残されています。

思春期の葛藤は、大人になって収まっていく、という主張に受け取られなくもないです。

が!

しかし!

それ以外の主張として、この「実存の問い」って、思春期だけのものでは決してない、と思うのです。

いったん、社会に入って行った人も、どこかで「こんな人生を望んでいたのだろうか?」とか「本当は何をしたかったんだろう?」との問いが再燃してくるのではないかと思うのです。

ユングが「中年の危機」と表現しているように、社会に出て数十年働いてきて、ふと余裕が出てきて、何となく先行きが予測できてきたときに、このような問いが浮かんできたりします。

 

そんな時(=危機の時)、思春期だと、体制に背を向けたり、体制を破壊しようとし勝ちなのですが・・・

中年の危機の際も案外、危機にうまく対処できない場合もあるような気がします。

それまでに積み上げてきたものを破壊的にリセットしてしまうというか・・・

けれども。

それまでに、あまりに多くの荷物を背負い過ぎていたならば、一旦休んで、時には荷物を軽くして再出発しても大いに構わないと思いますし、

体制や自分に背を向けたり破壊するのではなく、そういったものを呑み込んで(含んで)、そのうえで自己を実現する(=自分の世界を築く=社会に居場所を確保しながら)ことが大切なのではないかなあ、などと思いました。

元の話の戻ると、この漫画「惡の華」って、若者が読むだけではなく、社会に出て数十年経った大人が読んでみると良いのではないかと思いました。

 

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