ブッダが、「修業時代」と「三つの明知」について語った「マハーサッチャカ経」と「ボーディ王子経」が興味深い! 《原始仏教・原始仏典について》

 

中部経典に、マハーサッチャカ経(大サッチャカ経)とボーディ王子経という経典があります。

それぞれ、登場人物の名前を取って名付けられた経典名です。

これらの経は、ブッダの修行時代、すなわち出家後、苦行などを行った後に苦行を放棄し、悟りに至るまでを説いた貴重なお経です。

修行時代の話については、断片的には学校の教科書などにも記述されていますが、ここまで詳しくは語られていないので、貴重な経典だと思います。

ここではその概要を書かせて頂きます。

釈迦国の王子の座を捨て出家した世尊ゴータマ(他の記事に合わせ、今後は「ブッダ」と書かせて頂きます)は、清浄行の実践のためにまず、「なにもないという境地(無所有処)」や「想いがあるのではなく、ないのでもないという境地(非想非非想処)」を成就した賢者の元へ赴き修行に励みます。

ブッダ自らもその境地に達したのですが、それは煩悩を滅する道ではなく、ニッバーナ(涅槃)に導く道でもないことを知り、その教えから去っています。

その後ブッダは、苦行を行います。それは「歯をくいしばり、舌を口蓋におしつけ、心が心をはげしくおさえるける行」だったり、「呼吸をしない禅」だったり、「完全な断食」だったりします。

苦行のためやせ細り、弱り切ったブッダですが、悟りには至りません

そんな時ブッダは、釈迦族の父の種蒔祭のときに行った「初禅の境地(欲望をすでに離れ、不善のことがらを離れ、粗なる思考と微細な思考をまだ伴ってはいるが、遠離によって生じた喜楽ある状態)」に住んだことを思い出します。

「これこそが悟りにおもむく道だ」と識知したブッダは、それまでの苦行を止め、やせ細った身体を整えるため、米のかゆをとったのです。

そしてその後、第一禅→第二禅→第三禅→第四禅まで至り、第四禅の境地から、過去の生存を想起する智(自身の生まれ変わりを知る:第一の明知)、生命あるものたちの死と再生についての智(他の存在含め、あらゆる存在が、生前の行為に従った世界に生まれ変わることを知る:第二の明知)、四聖諦(苦、苦の生起、苦の滅、苦の滅におもむく道:第三の明知)を次々と悟っていくのです。

第三の明知まで至ったブッダは、欲望・生存・無明の煩悩から解脱したことを悟ったのです。

苦行は悟りの道ではないと悟ったブッダが、乳がゆを飲んで身体の回復につとめ、そして悟りに至ったという話は有名ですけど、苦行の内容、三つの明知については案外語られていなくはないでしょうか。

その辺りを詳しく語られているのが、これらの経なのです。興味深いですね。

※第一禅~第四禅とは、集中系の禅の段階のことです。

 

さて、大まかに言ってここまでが、マハーサッチャカ経とボーディ王子経の両方に書かれている内容です。

対して、ボーディ王子経のみさらに、その先が書かれています。

ブッダは、自身が悟った内容について、執着の中にある人には理解し難いと省察し、人々に教えを説こうという意欲を無くしてしまいます。

とその時、ブラフマ―神が現れ、ブッダに対し、教えを理解できる人がいるので説法を行ってくれるよう要請したのです。

結果、ブッダは最初、共に苦行していて袂を分かった五人の修行者たちに説法を行ったという有名な話まで(正確に言うと、五つの精勤支=比丘の条件、まで語られていますけど、ちょっと話がずれるため、省略)が語られているのです。

最後にまとめさせて頂くと、ブッダの悟りについては、まず欲望・不善を離れた境地(初禅)に至ること、そして瞑想的な境地(第四禅)に至る実践を行うことに加えて、輪廻の様子・理由・そこから解脱する道に至るまでの「明知」を悟ることが必要であることを、これらの経ではしっかりと書かれているのです。

以上です。

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