ブッダ最後の旅【大パリニッバーナ経】にある超常的な興味深いお話です。 《原始仏教・原始仏典について》

 

先日、ブッダ最後の旅「大パリニッバーナ経(大般涅槃経)」について、特徴的な点、印象的な点について書かせて頂きました。

今回は、いささか超常的な興味深い話を二点ご紹介させて頂きます。

一つ目です。

まずはブッダがアーナンダに対してほのめかした言葉です。

アーナンダよ。修行を完成した人(如来)は、四つの不思議な霊力を修し、大いに修し、軛を結びつけられた車のように修し、家の礎のように堅固にし、実行し、完全に積み重ね、みごとになしとげた。

かれは、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長いあいだでも留まることができるであろう。

寿命がコントロールできることに驚きですね。さらに話を進めて・・・

その後、アーナンダや悪魔とのやり取り(詳しくは経典をご参照ください)を経てブッダは、「いまから三ヶ月過ぎて修行完成者(ブッダ)は亡くなるであろう」と言われるのです。

そしてブッダは、「念じて、よく気をつけて寿命の素因(潜勢力)を捨て去られた。みずから内心を楽しみ、精神統一をして、殻のような自己の成り立つもとを破壊した」のです。

ここで補足させて頂くと、ニルヴァーナ(涅槃の境地)に達したブッダは、死後に生まれ変わることがありません。一方、過去の業の余力があるので、それがこの世で生命をたもつ素因となって、ブッダはこの世で生きていらっしゃったのです。ここで言う「寿命の素因」とは、「今生での寿命の可能性」のことであり、その可能性をブッダは捨て去ったということなのです。その結果、あと3ヶ月の寿命だというのです。

ニルヴァーナに達した後、業の余力が残るということが、一見不思議です。愛執などの「今後の業の原因」を断った後、これまでに積んできた業についてはオールクリアせず(できず?)、いくらか残るということでしょうか。そこは今後の疑問として・・・

今回言いたいことは、寿命の素因を捨て去る方法があること、また寿命を短くしたり、上のアーナンダとのやり取りにあるように何らかの方法で寿命を長くするのも可能だということが、サラッと書かれていることに驚いたということです。

ふつうに説法の内容が語られている中に、ポツポツと驚異的なことが書かれているのです。

 

そして二つ目です。ブッダ入滅直前の話です。

「怠ることなく修行を完成なさい」と最後のことばを発されたブッダは、集中系の瞑想の境地である、第一禅から、二、三、四、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想定、滅想受定に入られます。そしてまた逆に、滅想受定から第一禅まで段階的に移行し、また第二、三、四まで入られた後、完きニルヴァーナに入られるのです。

これ(瞑想の各段階を行き来すること)は、何を意味しているのでしょうか?

私が思ったのは、正定をしっかり修行すること、すなわち上記の瞑想の各境地を体験しておくことが修行に必須ではないかということです。どうなのでしょうかね。

チベット密教「死者の書」では、死後、何度か現れる光に飛び込みなさいという指示がなされます(僧侶による指示)。

このことと、ブッダの臨終の際のについて考慮してみると、私には、「臨終、あるいは死の直後の状態と転生・涅槃には重要な関係がある」ことが示唆されているように思えます。

 

以上、二点です。

このような感じで原始仏典には、超常的な話が随所に挿まれています。ますますいろいろと調べてみたくなる今日この頃です。

 

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