「問うこと」こそ、気付きの第一歩ではないでしょうか。

 

実存主義が流行った時代がありました。

今でこそ多くは取り上げられませんが・・・大切な思想の一つだと思います。

 

ここでまず、実存とは?実存的な問いとは何か?を書いてみたいと思います。

「実存」とは、「今、ここに存在して生きている自分のこと」であり、

「実存的な問い」とは、その「生きている自分の人生の意味を問うこと」です。

 

普段の我々は、このような問いを封印し、日々の生活の営み・感覚の刺激に埋没しているのが現実であり、ハイデガーが言う「非本来的な自分」を生きています。

主として物質的に豊かになり、社会的ステータスを上げることが目標とされている現代社会では、上記の実存的な問いへの確固たる一貫した、一般に流布した答え・目標は与えられていないように思われます。

けれども。

同時に、このような問いが古来より語られてきたという事実は、それが人間が恒久的に持つ問いであることが示唆されている、と私には思えます。

 

実存的な問いを持つこと

 

この、実存的な問いを発して、答えに至ることができるのかどうか問い始めてみると、袋小路に入ったような気持ちになるかも知れません。

あるいは、問うこと自体が無駄なことではないかと感じるかもしれません。

 

けれども。

このような「実存的な問いをもつこと」こそが第1歩のように思えるのです。

先が見えなくとも、まず問うてみることから始まるように思うのです。

問わなくて分からないことと、問うてみて分からないことには、そのプロセスにおいて大きな差異があるのではないでしょうか。

 

「実存的な問い」のパラドックス

 

問いを持ち探索を進めた結果、案外に人生の意味とか幸福というものは、外部にあったり、到達するようなものではなく、すでに自身の内側にあったりするように思いますが・・・

それでもまずは問わない限り何も知ることはない、何も始まらない、

問い始めることこそが、すべてのきっかけとなる。

 

まさにパラドックスなのだろうと思います。

 

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