仏教3.0が西洋哲学と出会い、新たな局面に入る。 -仏教3.0を哲学する-

 

仏教3.0を提唱する藤田一照さん山下良道さんと、哲学者にして長年坐禅をやってきたという永井均さんが、2014年から2016年にかけ3年に渡って行った公開講座での鼎談が元となって作られたのが、

この本「〈仏教3.0〉を哲学する」です。

 

 

まずは、仏教3.0について概説します。

 

曰く、

仏教1.0で言われていることは非常に深遠だが、その深遠さをどうしても直接的にできなかったということです。

仏教2.0では、呼吸を見る、手の感覚を見るなど、直接的、現実的なメソッドがあるが、日常的な自我(エゴ)が主役を演じているという重大な問題があるということなのです。

要するに、仏教1.0は深遠なところに至る道筋が語られておらず、仏教2.0では日常的にあーだこーだと思い・考える私以外の【私】(=山下良道さんは「青空としての私」と言っています)が想定されていないということですね。

 

以前より、藤田さん、山下さんのお2人は、「アップデートする仏教」などの本で、これらを超えた仏教として仏教3.0を提唱されていましたが、

この度、哲学者の永井均さんと対談することで、

仏教3.0論が仏教の内部での閉じた議論に留まることなく、より広い文脈で開かれた形で検討するため、いわゆる永井哲学との突合せを試みたということなのです。

 

藤田さんは昔より、永井さんの哲学書を好んで読まれていたそうです。

私は読んだことが無いため、全容は計り知れないのですが・・・実存と本質のうちの「実存」が山下さんの言われる「青空としての私」で、

以下永井哲学と仏教を対比して、「比類なき私」が「無我」「比類なき今」が「無常」「本質なき実存」が「涅槃」として語られているようです。

まあ、確かに「青空としての私」には、空間的概念があっても時間的概念がないようにも思えるし、永井さんの哲学と突き合わせることで、より深みのある考察になるのだろうと思います。

ただ、私には永井哲学にある「本質と実存」の「本質」の使い方に違和感を覚えるなど、なかなかに理解が難しかったのですが・・・もう少し私の理解力をつけたいところですね。

 

この本の中で藤田さんは、「仏教3.0」はまだまだ途中経過のようなもので、もっと先に続いていくようなことを仰っています。

興味深いですね!

どのように議論が深化していくのか、3人の方の著書が刊行されたら、また読んでみたいと思います。

 

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