【ヨーガの哲学】ヨーガの歴史・考え方と優れた技法を俯瞰する(2)

ヨーガのお話の続きです。

今回も、立川武蔵氏の「ヨーガの哲学も参照しながら書かせて頂きます。

 

 

前回は、ヨーガの起源から古典ヨーガの時代、について書かせて頂きました。

 

そして、時代が移っていきます。

 

社会が発達することで、

「社会と国」ということが人々にとって身近な関心事となってきました。

そのような状況の変化は、ヨーガ行者にとっても、

自らの心の制御だけでなく、自分の住む世界の構造に対しても

関心を向けざるを得なくなってきたようです。

 

要するに、インド哲学でいう「俗なるもの」に

しっかりと向かい合う様になった、ということですね。

 

このことは、「俗化」という一言で片づけられることがありますが、

むしろ「時代の要請」という側面が強いのではないかと思います。

また、当時流行っていた密教(タントリズム)の影響もあると思います。

 

さて、ヨーガの世界ではどうなったのか?

 

ハタ・ヨーガが台頭してきました。

 

これまでの「心の止滅、心をしずめる」方向から

心を積極的に使い、俗なるものとして否定されていた

身体的な修練を行なう方向になってきました。

古典ヨーガにある禁戒、勧戒なども存在しているのですが、

食事、身体浄化、呼吸法、体位法などの身体的な技法

かなり細かく制定されています。

 

また、なかなか言及されることがありませんが、ハタ・ヨーガでは、

アートマンと意の合一した状態としての「三昧」についても言及されています。

さらには、元々ハタ・ヨーガは、ラジャ・ヨーガ(古典ヨーガ)の前段階、

と位置付けられていたようですが、徐々に独立したヨーガとなっていきました。

 

現代社会では、ハタ・ヨーガがさらに特化し、

体位法がメインで、補助的に呼吸法、食事法がある、という感じでしょうか。

現代社会では完全に市民権を得て、専門道場はじめ、スポーツクラブなどに

普通にヨーガ教室がありますね。

 

もちろん一方では、古典ヨーガの流れをくむバクティ・ヨーガ(愛の道)、

カルマ・ヨーガ(行為の道)、ジュニャーナ・ヨーガ(知恵の道)なども発展しました。

が、徐々に、総合的なものから特化したものに変容していく、という意味では、

古典ヨーガからハタ・ヨーガへの流れと同じであると思います。

 

最後に。

この本では、ヨーガと初期仏教の瞑想、中観派、唯識派、密教(タントラ)、

などとの対比など興味深い記述もありますので、ぜひ参照頂ければと思います。

 

 

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