臨死状態を共有するということ2 -臨死共有体験-

 

臨死体験に対して、「死に行く人の恐怖などに基づく脳内現象である」という批判があります。

 

博士は、このような批判に対して臨死共有体験を持ち出して反論します。

 

先日の記事「臨死共有体験とは、死に行く人だけではなく、立ち会った人が不思議な体験をすること」であると書きました。

 

 

博士は、「側にいる健康な人が、共通性のある体験をしている。側にいる人は、恐怖や苦痛を感じているのではないにも関わらず、臨死体験をする。このことこそ、臨死共有体験が単なる個人の脳内現象を超えているということではないか」と言い、多くの事例も示します。

 

なるほど博士の言うとおり、単なる個人の脳内現象を超えているのかも、と思えます。

 

ただ、さらなる批判もあります。

 

それは「集団催眠状態、集団ヒステリー的な現象により、病室にいる人々が共通に体験してのではないか」という批判です。 

結構説得力のある批判で、私もこのような疑問は抱きました。

 

これに対して博士は、「病室にいるすべての人が見るのではない」と言います。

子供は見ているけど、その親は見ていない、などの事例が多くある。

 

さらに博士は、「共有体験が遠隔地で起こる場合もある」とも言っています。

いわゆる、「遠隔地にいる親しい人が、亡くなった瞬間の人と会う」という現象です。

このことは、はっきりとヴィジョンで見る以外に、直観する、胸騒ぎがする、などの感覚も含むと、案外いろいろな人が体験しているのではないでしょうか。

 

なるほど確かに、体験者の創作話である、というような可能性を排すれば玉石混合の話の中から、臨死時や死後の世界には何かがあるな、ということもなかなかの説得力を持って言えるように思えます。

 

さらに博士は、ミラー・ニューロン細胞などの脳生理学的な研究の話も持ち出し、より科学的なアプローチからの説明も試みようとしています。

 

自然科学では、「外部にいる者が再現性を持って観察(実験)できること」を重視するため、複雑で矛盾に満ちた心の働きを、再現性を持って観察することはなかなか難しいようにも思えます。

そういった意味では、自然科学的アプローチは補助的な役割となるのかもしれませんし、将来的には研究が進み解明が進む可能性があるのかもしれません。

 

博士はこのように、「かいま見た死後の世界」以降、臨床的なアプローチ、自然科学的なアプローチを駆使して、臨死状態、さらには死後の世界に関する探究を続けている、この本では、そんな博士の活動、思索で貫かれていると思います。

 

と、いろいろと書いてきましたが・・・

 

このようなアプローチを続け、この不思議な出来事、未知の世界を解明していくことは意義があり大切なことだと思いますが、さらにもっと大切なことがあるのです

 

それは、「このような体験後、変容を遂げた人が多くいる」ということです。

 

「この人生だけで終わりではなく、その後の人生も継続する」、「愛する親しい人は苦痛にまみれているのではなく、安らかな状態にある」ことなどを(科学的証明は難しいでしょうが)腑に落ちる感覚で確信する、

このことにより勇気をもって安らかに、その後の人生を生きていくこと、このことこそが人生において有意義なのではないかと思います。

 

たとえ主観的と言われようと、得心し、腑に落ち、安らかな気持ちで生きていけること、そのような事実を、科学で証明できないとして切り捨てるするのではなく、受け入れることは大切だなと思います。

 

そのようなことを感じさせてくれる有意義な本でした。

 

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